高校でカソリック教育を受けた青さん。
そこで知ったのは、血みどろの世界だったそうで。。
そんな青さんもハッとした天草の風景。
様々な大人の事情が入り乱れる中、
やはりロコしか理解できない事実を
書いてくれますねえ。。
なるほどぅ。
ではさっそく!
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道の駅崎津の開設は去年の12月
ということなので
まだ塗料の匂いがするような新しさ。
後に、腹が減ったので
様子をうかがいましたが、
ご飯を食べる場所はなかったようでした。
日差しはすでに天頂に近く、
日差しはほぼ真上から
叩きつけるように降っています。
ヘルメットをミラーにかけ、
メッシュジャケットを脱ぎ、
グラブを外します。
これだけでも幾分涼しさを感じるものです。
バイクを離れる前に、
一本目のペットボトルを飲み干しました。
空き容器と入れ替えに、
タンクバッグから次を取り出し、
デイバッグに仕込みます。
構成されています。
しかし、熊本も含まれております。
それが天草地方。
天草ってのは熊本県なんですよ。
いくら長崎のイメージが強いとはいえ、
熊本なんですね。
そしてその天草といえば
「崎津集落」であります。
私は長崎県民ですが
「仕上げに他県の分を」
などという殊勝な心がけではありません。
正直、長崎県内の遺産群をめぐるより
はるかに熊本天草のほうが気軽に来れます。
離島やらがずらりと並んでいる
辺境の世界遺産です。
ガチで行こうと思うと長崎市内から
県内とはいえとても遠いのですね。
でも県外の天草は近いんですね。
長崎の地図をもう一度ご覧ください。
長崎県の難儀さを噛み締めつつ、
いよいよ念願の世界遺産であります。
長崎だと外海地区が
隠れキリシタンの里として近いのですが、
そこも同じようなものです。
隠れているんだから。
隠れやすい場所なんですよ。
誤解を恐れずに申し上げますが、
世界遺産なんてものになったから、
大急ぎで対応を進めているんです。
つまり、元々はただの僻地です。
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遠藤周作が「沈黙」の舞台として取り上げ、
石碑もありますが
「人間がこんなに哀しいのに、主よ、海があまりに碧いのです」
と書いた外海地区。
ここもね、すごい僻地なの。
しかも極貧地区。
崖と山しかない地域なのに、
港として使えそうな場所が
殆どなかったんですね。
農林水産全部厳しいという、
大変なエリアです。
そりゃもう、自活すら出来ません。
しかし、そんな場所だからこそ、
隠れるには都合が良かったんでしょうね。
しかし、遠藤周作も面白い人です。
クリスチャンへの攻撃として
最も有効だったのは、
徳川のキリシタン狩りではありません。
昭和20年8月9日長崎。
あれですね。
あのとき、爆心地に近い浦上天主堂で
「赦しの秘跡」をやってたんですね。
そこにキリスト教原理主義国家からの
核が落とされたわけです。
それで信仰捨てる人続出なわけで。。
遠藤周作よ、書くならあれじゃねえか?
おっと、今回は心の旅でした。
しかも9月ですから、
暗い感情をたくましくしている場合ではありません。
メッシュジャケットを脱いで
少し地味目のアロハ姿になると、
露出した腕が
チリチリと焦げるような気がします。
強烈な日差しを肌で感じつつ
歩いていくと、教会のある風景が見えます。
空海の紺碧に、白い教会。
そこを普通に暮らすおじさん。
なんでしょう、パーフェクトな気がします。
崎津集落の風景として、
このシチュエーションは
世界遺産になる前から同じはずです。
なのに、こんなにエモい。
全国津々浦々、
きっと知らないだけで
面白い風景の場所って多いんでしょうな。
住んでいると気づきにくいものですが、
そこを広報してこその
「観光地」であります。
うちからも、
毎日えげつない西日を運んでくる
海に沈む夕日が見えます。
きっとあれも他府県の方々からすれば
「観光資源」何でしょうねぇ。。
住んでるだけでは迷惑なだけなんですが。
さておき、崎津集落。
歩き出してすぐに気づく、
なんか変な感じ。
敬老の日なので9月も半ば、
放送局は年末年始の番組を
考え始める頃に、ちらほら見えるしめ縄であります。
最初見つけたときは
「ああ、世界遺産でも空家問題が…」
と、私が住む町と同じ
「正月は生きていたけど今は鬼籍入籍」
パターンだと思いました。
崎津教会へ歩いていく道すがら、
結構な数を見つけて
コレはおかしい。
なにかきっと意味があるに違いない、
と撮影したものです。
これ、後日調べたら
やっぱり意味がありました。
「うち、耶蘇とちがいますよ」
という看板代わりに、
年中しめ縄をかけっぱなしにする
風習があったそうなんですよ。
天草に限ったことなのでしょうが、
不思議な光景も理由を知れば納得です。
私も僻地の住民なので、
こういうただの田舎の風景は
すごく親しみがあります。
そんな、少し見慣れた風景を歩いていくと、
右側の階段の先に神社が見えてきました。
といったところで本日はここまで。
それではまた。了
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なるほど。
冷静に考えれば、そりゃそうですわな。
江戸時代に隠れるなら、不便なところ。
不便なところってのは、物流がないわけです。
土地もないわけです。
港もないわけです。
この港が作れないってのは、かなり痛い。
完全に流通から取り残されたわけですからねえ。
遠藤周作も、言われてみればそうですわな。
キリシタン狩りって言っても、
原爆一つの方が、桁が違うわけザンスし。
江戸時代のキリシタン狩りってのは、
結構目こぼしもあったようザンスしね。
形式上踏み絵すれば、まあお咎め無し的なもので。
それに比べれば、明治初期の方が無残なわけで。
それでも、原爆一つに比べれば平和な世界。
うちは耶蘇ちゃいまっせ!
なかなかソウルフルな風景ザンスなあ。。
(解説一つで、見えるものが違うんですよね。知性は世界、でクリック!)