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空冷エンジンの熱の入れ方を考える 究極のオートバイを目指す10最終話

夏の空冷エンジンって地獄やない?

でも実際には何が起こってるか考えたことある?

なにも水冷エンジンが涼しいわけではないからねえ。

でも空冷ってマジどうなってるの?

 

ガソリンにこだわって考えてみた前回。

一部マニアからは絶賛されましたよ。。

まあ、ごく一部のマニアからですけど。。

 

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ガソリン問題を一応クリアーした我々は、次の課題へと。

 

人類最後の空冷4気筒、CB1100(多分)。

 

今年のような異様に暑い夏にはどうなるのであろうかね?

ホンダテクノロジーは、空冷でどこまで冷やせるのだろうかね。

それともやっぱ熱ダレでダメなんだろうかね。

そこ気にならない?

 

夢と希望、現実と失望、合法と違法。

その狭間でうごめくオジサン二人。

身体張ってみましたよ!

 

 

 

高級住宅街芦屋。

金の匂いが満ちている街。

その山手にある、一般道のやるせなさを全てカネで解決した奇跡の道路。

その名を芦有ドライブウェイという。

 

そこをかっ飛ばしたCB1100。

 

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ある日のこと。

ゴキゲンだったワタイは、有馬に抜け中国道へと入ったのだな。

盛夏ではなかったけれど、結構な気温。

夏向けの装備をしてなければ、ちょっと身が危うい感じの熱風が襲ってくる日。

イカレポンチな私は、このエンジンを回し続けたらどうなるのか考えておったのだな。

空冷で1100も排気量があれば、当然熱も激しい。

いくら高速で走っていて風が当たるとは言え、どうなるのだろうかね。

このCBはマフラーもノーマルである。

排ガスの規制が今ほどではなかった時代に製造されたとは言え、触媒もついておる。

後付ではあるが、簡易な油温計もつけた。

 

この手の外付け油温計は、クランクケース内部温度なのでプラス10度と考えるのがよろしい。

CB1100の場合は、大体95〜100度あたりを示しておる。

このエンジンは、純粋空冷というより半油冷エンジン。

しかも気温が30度を超えておるので、妥当な数字だ。

もちろん、良いオイルを入れた上での話ではあるけれど。

 

中国道に上がったCB1100は、結構な速度で巡航しておった。

一番美味しい回転数が3000〜4000である。

これはだいたい法定速度とお考えいただきたい。

回したところで、さして美味しい気もしないのである。

でもまあ、その時は灼熱気候の中で空冷はどこまで冷えるかのテストであったのだな。

私は理性を一旦ゴミ箱に放り込み、ぶん回し始めたのだ。

トップギヤで7000から落とすことがなかった、とだけ申し上げる。

15分くらいそのままで走ったであろうか。

するとだな、突然上の回転でパワーが炸裂し始めたのであるな。

 

ドッカーンと。

 

同じ回転数、同じ速度。

しかし、エンジンは明らかにパワフルになった。

突然のことで面食らったのだが、楽しくなったのは事実。

私は、一旦回転を落とし再度アクセルを開けた。

もうね、猛烈に加速してゆくのよ。

 

なんだかんだ言って、さすが1100cc !

 

というより、突然キャブをFCRに変えたような感じ。

インジェクションなんだけどね。

それと同じくして、不思議なことに油温が下がり始めた。

高速走行中は90度あたりに落ちてきた。

 

?????

 

いくら高速で風を当てているとはいえ、こんなのある?

道沿いの気温系は34度を示しておるというのに。

 

私は下に降りて、タバコを吸いながら考えた。

冷却というのは、エンジンが均一の熱を持ったときに効率がいい。

エンジンの前と後ろでは温度が異なるから、設計もそれをわかって作っている。

オイルがエンジン内部を流れ、潤滑と同時に温度伝搬もしている。

で、エンジンが高温で部位差がなくなっていたと仮定しよう。

この場合低速ではだめなのだな。

いくら熱くなったところで、意味はない。

高速で、一定の温度と冷却が一定時間続かねばならない。

そうすると、エンジンはより理想燃焼の状態に近づいてゆく。

 

のではなかろうか?

 

ってくらいの話である。

 

 

下道での走行も、これまでとは完全に違う。

うーむ、一体何が起きたのであろうかな。

私はそのままジャーニーモーターサイクルの吉川さんところに行きこう言ったのだ。

 

「この状態で今すぐ乗って!」

 

走り出て戻ってきた時、吉川さんは

 

「一体何やったんですか!?」

 

これまでの経緯を説明すると、吉川さんはしばらく考えておった。

仮説ではこうだ。

CB1100は輸出国ごとに、20種類くらいのマップを用意しておるらしい。

その国の交通事情とかいろいろで、デフォルトプログラムが違うらしいのね。

でもさ、部品を変えるわけないから、マップで調整しているはず。

ある条件が整った時、隠れていたマップが出てくるんじゃないだろうかと。

 

ああ、これはあのときのあれじゃないか!

 

chuff.hatenablog.com

 

更に、今どきのオートバイについている触媒。

あれは一定温度にならないと効率的に機能しない。

高温になりすぎても機能しない。

高温と冷却の同時効果で、マフラーがスムーズになった可能性も。。

 

ということで、後ろを見てみる。

 

 

なんや、この汚れ方は?

雨も水たまりも通ってないぞ。

しかも、妙な粘度である。

よく見ればブレーキランプ周辺にも。

 

 

一方、排気口周辺はほぼクリーン。

 

 

エンジンの燃焼が良い時には、水蒸気が発生するので、多少は水分が出る。

それを高速で排出し続けると、だいたいこんな感じになるにはなる。

しかし、それではナンバーにまでは飛ばんだろう。

排気バルブ周辺のネッチリしたカーボンが、熱と排圧で剥がれたのかもしれない。

前オーナーは、トコトコツーリングの人であったらしいし。

 

この日を境に、CB1100はチューンドエンジンのようになってきた。

もうこんな感じでカーボンを出すこともほぼない。

もちろんエンジンから出る熱気はすごいので、私の右足の膝の下をかるく火傷。

夏はロングブーツ履かないとだめだな。

特に右側の排熱が大きい。

エキパイが右に集まっておるせいか、右側だけ排熱が多い可能性もある。

というのも、このエンジンは1,2番と3,4番でバルブタイミングが異なるのであるよ。

ホンダのエンジニアトークと言うサイトから引用する。

 

南:基本的に直4は、4つのピストンが同じように動いていればスムーズであるのが当然なのです。走って“ドロドロ”を感じるようにするという事は、それを何となく少しずつ変化をつける方向性にする事なのかなと考えました。
結果的に、1番2番と、3番4番のシリンダーでバルブタイミングをずらし、そのタイミングを少しずつ変えながら、人の感じる燃焼の“ズレ感”といった感覚的なフィーリングを見つけていったのです。

関谷:バルブタイミングの変更や可変と言うと、普通は高出力化のためのフィーチャーです。しかし、今回はまったく違う、むしろ正反対の目的があったと言ってもいい。

南:そうですね。一般的な考え方とは逆の方向から入ったものですから、最初は“これでうまくいくのだろうか?”という戸惑いもありました。

global.honda

 

と、ホンダの公式サイトには書かれておる。

ここで大事なのは、「普通は高出力化のためのフィーチャーです」というところ。

CBの場合、空冷感を出すために真逆のことをしたとのことであるな。

 

でもさ、じっさいホンダがそんなことやるかねえ。

あいつら、技術オタクみたいな集団やん?

もうホンダ自体がEVに向かうのは知っておったやろうし。

内燃機関の終焉を前にして、この技術を残そうと思ったのではないのかな。

一見レトロ感を出しておいて、実はモニカ・ベルッチみたいなセクシーイケイケ作ろうぜ!と考えても不思議やない。

 

 

なんせ、もう絶対作れない空冷四発やからな!

 

CB1100が出た時、「あー、これはオッサンホイホイやんけ!」とバカにした私が悪かった!

本田宗一郎は、会社の倒産危機に世界グランプリに出ようと考えたバカなのだ。

敗戦のやるせなさがリアルな時代に、日の丸を背負って世界に打って出た会社なのだ。

 

www.youtube.com

 

「自分で世界一だと言っても、誰も信じてくれない。

ならば、世界で一番を取ってやろうじゃないか。

それが日本の若者にどれだけ勇気を与えるかと思うと、じっとしていられない衝動を感じたのであります。」

 

グッと来るぜ!

 

今のホンダに、実際に本田宗一郎に会った世代はいないだろう。

しかしだ、このCB1100を企画した頃にはまだいたのかもしれない。

若き日に本田宗一郎から薫陶を受けた最後の世代。

空冷で、多気筒で、とことん行くぜ!

なRCマシンのスピリッツを持ったエンジニア達が。

世界が遠かった時代に育った世代。

 

www.youtube.com

 

多くの名車が時代によって生まれ、時代によって消えてゆく。

私の祖母の時代には、まだ馬車があったと聞いている。

私の時代には、当然のようにガソリン内燃機関があった。

その熟成と進歩を身近で見続けた世代だ。

時速200キロが夢であった時代から、自分で300キロを出すまでを体験した。

それはある意味ではとても幸運なことだったように思う。

しかし、その中で若さゆえ見落としていたものも多い。

人々がなにを求め、実際にはなにを作ったのか。

資本主義が終焉を迎える予感さえするこの時代に、ようやく見えてきた何か。

それをCB1100を通して、おぼろげながらに掴みかけている気がする。

 



吉川さんと私は、この企画をドリーム・プロジェクトと呼ぶようになっていた。

夢はいつも儚く、掴めても刹那である。

季節はめぐり、この状態で気温が下がったときのこともいずれ報告したい。

リヤタイヤをスキッドさせながらスタートするCB1100。

我々が作ったこのマシンは、できるだけ多くの人に乗ってもらいたいとさえ思う。

それを分かるかどうかは保証できないのであるが。

 

究極のオートバイを目指す。

それはライダーとしての夢でもあるのだ。

 

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