グリップヒーターは素晴らしいが、犠牲になっているものがある。
ライディングに最重要なセンサーである人間の手のひらの感覚。
あらゆる情報は、この手が感じているという事実。
グリップヒーターを使えば、長距離が快適になるはずなのに逆に疲れてしまう。
だから、最新のマシンに乗るオジサンたちは道の駅でグダグダしているのではないだろうか。
という結論の前回。
たかがグリップの交換で何が起きるか、知っている人は少ないかもだな。
という我々も、まさかここまでとは思っていなかった。
純正パーツは常に最善と思っていたが、その純正でさえもこんな事があるのだなあ。
そこで今回は、なぜハンドルを変更しようとしたのかから行ってみよう。
そこには、ホンダの企業としても思惑も見え隠れしていたのよ。
今回はアップハンドルとローハンドルで何が違うのか、でるあるのね。
ハンドルの違いくらい好きにせーや、というご意見もあろうよ。
でもな、それに従うほど素直やないんやわ。
前回のグリップから学んだのは、純正パーツには思惑があるということやね。
前回使用したグリップから学んでみよう。
このグリップは、私が初めて所有した40年以上前のCBでも使われていた。
長年使われるパーツには意味がある。
ホンダは、振動や材質に関して世界一のデータを持っておる。
ゆえにこのグリップは、その淘汰の世界で生き残っておるわけですな。
実際、このグリップに交換するだけで旋回性は劇的に向上した。
小さなターンで、ごく僅かなアクセルの開け締めができるかどうかがキモである。
それを、こいつはとても容易にする。
まあ、こればっかりは試した人しかわからんのですけれども。
安いパーツなので、試してみることをオススメする。
もう、マニアしかついてこれていないと思うので暴走することにするわ。
でさ、ハンドルね。
ハンドル選びって重要やん?
ノーマルは、なぜその高さその位置にあると思う?
一つはハンドリングの味付け。
もう一つはマーケティング。
その2つのせめぎあいと考えるのが妥当やわね。
CB1100はアップハンドルがまず出て、数カ月後にローハンドルが出てる。
そのどっちかが正解のはずなのよ。
で、我々は「正解」を探す旅に出ておるわけですわ。
好みってのは、言い換えれば「思い込み」でしかないわけよ。
でもオートバイってのは、実は正解があるのやないのかと思うわけです。
私の経験上でいうと、実はアップハンドルの方が峠では楽しい。
それは、入力が軽くなることに理由があると思う。
ジムカーナとかさ、峠で速いオフロードとかさ、あれあれ。
空気抵抗を考えなければ、重心から離れたところにある入力の方が軽いわけやね。
低くなればなるほど、ライダーの介入動作は意識的になる。
つまり、大きく入力が必要になるってことやね。
もう一つ理由があって、アップハンドルのほうがリヤに荷重をかけやすいってのもある。
最近はアホな解説者が多いせいで、こんな記事もある。
フロントトラクションを使って走っているということは、路面に対して甘えているということであるのよ。
グリップをアテにしているということでありますからね。
よって、公道ではオススメできない。
常にリヤのトラクションを意識するのが正解だと思う。
ずっと一輪車感覚でもいいくらいだと思う。
フロントはターン中は遊ばしておけばいい。
これは、スピードが20キロであろうと200キロであろうと同じこと。
この状態をアップハンドルのほうが実は作りやすい。
しかし、速度が上がるに連れ入力の軽さは邪魔にもなる。
簡単に言えば振られやすくなる。
もう一度CB1100の車体を見てみよう。
最初間近で見たとき、なぜかスポーツスターを思い出した。
実際似ている気がする。
もちろん、実際には似ていないのだけれどね。
どうも、ハンドリングへのエンジニアの考え方ではないかと思うのだ。
多分、ステアリングヘッドの位置ではないかと思う。
キャスターへの考え方も同じラインであるように思う。
つまりフレームに対して結構高い位置に支点がある。
これをより強調したのが、いわゆるフリスコスタイルではないかとさえ思っておるのよ。
フリスコが何かと言い始めたら、またややこしそうだがこんな感じのチョッパーね。
重心を低く、ステアリングヘッドを上げ、実はハンドルは低い。
かさ上げしているが、ハンドル自体は低い。
そして、完全なリヤ依存。
サンフランシスコの渋滞をすり抜け専用のカスタム。
つまり、軽いハンドリング。
この流れの最新式がCB1100ではないかと考えたわけだ。
となると、更にアップにするハンドルの意味を考えるとマーケティングであろうな。
オッサンが安心する位置にある。
多分、近所を試乗するならこっちの方が馴染みやすい。
ということは、本来はローハンドルであったのではなかろうか。
この私の意見を、ジャーニーモーターサイクルの吉川さんに話してみる。
吉川さんは、アップハンドルの乗りやすさを肯定的に捉えていた。
しかし、私はどうも気になった。
油圧のクラッチのホルダーがおかしい。
妙な角度がついている。
ここは、ローもアップも共通の部品。
クラッチへの違和感は、奇妙な左腕の披露として現れた。
吉川さんはそれを感じないという。
その頃、たまたま友人が遊びに来た。
彼は自分でレストアしたRZR250改350に乗ってきた。
そのマシンは彼が初めて手に入れたマシンであり、40年近く昔のもの。
欠けたクランクケースを自分でパテで修正した、手組みのマシン。
ベンチで70馬力出しているというエンジン。
つまり、とことんのマニアである。
このBMWも彼のマシン。
その彼に試乗させると、やはり左腕が奇妙な感じがするという。
もうここはゴリ押しでローハンドルだね。
一応断っておくがローハンドルがスポーツ走行向きだとか、アップハンドルがのんびりツーリング的だとか、そんな田分けたことを言っているのではない。
ハンドルが変われば、それに乗るライダーの身体の使い方が変わる。
体重のかけ方や着座位置とか、全部変わる。
セパハンに乗って首が痛いだの手首が痛いだの、そのような感想は下手くその所業である。
ここで課題になるのは、ハンドルが低くなったときのライディングの変化が、どちらのほうがエンジニアが目指したハンドリングかということであるな。
私の推測では、多分ローハンドル。
アップハンドルはマーケティングの結果であろうな。
これは繰り返しになるが、好みというものを今回は一切考慮しない。
もちろん私にも好みがある。
リム幅の制約の中で、できる限り細いタイヤを履きたいとか。
もちろんあるにはある。
しかし、今回は一切無視する。
ホンダエンジニアリングが目指したであろうベストを目指す。
アップハンドルを散々乗り込み、そのテストランが1000キロになろうとする頃。
インジェクションの調整も、足回りも、全て理想に近づいて来た頃。
我々はハンドルを交換した。
そんなのさっさとやればいいんじゃない?
とか思われる方もいらっしゃると思う。
しかしだな、ハンドルの変更から得られるものをすべて吸収しようと思うと、その他のことが完璧でないとわからないのだ。
若い頃に散々いじくったオートバイを作ってきた我が身として、いっぺんに色々やると結局なんでこうなったかわからなくなるってことを知ってるくらいの経験はあるのだよ。
季節はめぐり、桜が散り新緑が山を覆い始めた頃。
つまりは、初夏であるねえ。
ローハンドルのマシンで走りに出た。
限界値以前の街乗りでも違いは顕著であった。
不思議なほど強制的にシートの後ろに荷重するのを強制された。
まるでオートバイが矯正してくるようなのだ。
クラッチホルダーも気にならなくなった。
アップハンドル時には、白バイのように扱えたマシン。
それがハンドルを変えるだけで、身体全体を利用するライディングの要素が濃くなった。
開発のライダーがこれを好んだことは間違いないと思う。
積極的に荷重を変えてオートバイを動かす。
このマシンを最も楽しめるのはどこだろう。
ハーバーハイウェイは車が多すぎる。
六甲山は狭すぎる。
となれば、銭とロマンが香る街芦屋。
そこに、一般道の問題をすべて銭で解決している道がある。
芦有ドライブウェイ。
ここで決まりだな。
週末オートバイは入れない。
数百円はかかる。
よって、困ったお子様もいない。
ある意味クローズドと言ってもいい。
ここは本当に贅沢な空間。
続きます。
(これで完成するのか?するのか?いやいやどうして。旅は続くのでクリック!)