ロッグキャビンが2022年末で閉店していた。
もう二度と食べられないのだ。
ショックだ。すごい喪失感だ。
人々の中にある「神戸」というイメージを具現化したようなお店だった。
私はとてもつらいのだ。
この店には、歴史という時間でしか作ることができない何かがあった。
何十年と通っていたのに、まさかスパイスを使わない店だと知ったのはわずか数年前。
スパイスなしで、洋食が成立することに驚いた。
もちろん、胡椒はスパイスなので使わない。
もう食べられないんだけどね。
マスターとマダムのお年からすれば仕方のないことなのだろう。
しかし、しばし愚痴っていたい。
アンジェリーナから写真が飛んできた。
それがこちら。
確か戦後すぐからのお店だったはず。
先代と当代の2代続いて帝国ホテルで修行したはず。
70年以上やっておられたわけだ。
そのうえで、このあっさりとした終わり方。
かっこいいぜ、やっぱり!
ご挨拶とお礼言いたかったな。
お店の主と客は、案外お互いのことは知らないもの。
多分私も名乗ったことはないと思う。
いつものようにふらっと訪れ、美味しいものを食べただけ。
ママさんといつものように気軽で上品な会話をして。
私は覚悟しながら、同時にどこかで思っていたに違いない。
終わりなんか来ないはずだ。ずっとこの店はあるはずだ、って。
もちろん何にだって終わりはある。
でも一万年先ならよかったのに。
ロッグキャビンが、ある種の伝統の頂点にいたとする。
逆に、とことんまでアヴァンギャルドだったのはベックという店。
もちろん神戸元町物語でも取り上げている。
ここの主、岸本さんが昨年膵臓がんで亡くなっていたことを別ルートから知る。
亡くなる直前まで店を開けていたらしく、誰も病気のことに気づかなかったようだ。
あの、画廊のような空間で、火とごく少量の塩だけでフレンチを提供していたのだ。
自身は余命のことを気づいておられたのだと思う。
客が帰った後、あの空間で一人片付けをしていたであろう病身の岸本さんを想う。
すべてを一人でこなしていた孤高の人。
この方のブログを読んで、みな同じ思いだったのだなと気づく。
常に我々はラストラップを走っているのだ。
気づいたときにはいつも手遅れなのだ。
思っているより時間は少ない。
私が食事し、会話し、酒を飲んだ場所はもうない。
私が神戸と思っていたものが、どんどん変わってゆく。
それは仕方のないことなのだと理解するくらいの分別はある。
でも、そうですかと納得するには無理がある。
しばらくはこの喪失感を抱えておこう。
それは幸福の記憶でもあるのだから。
(でも辛いの。そう本当に辛いの。あと一周気を抜かずにクリック!)