CHUFF!! チャフで行こうよ。

もう、何でもありです。ヒマつぶしにどうぞ。

CHUFF!!ってのは、「おっ、なんかいいよね!」って意味です。チャフっていきましょうよ!

青さん宗教を問う!

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何かを祈る猿。

 

とか思いません?

これ餌をキャッチしようとしているんですって。

祈りってのはどうなんでしょうなあ。

 

などと思っていると、青さんからそれ関係の。

いろいろあると思うんですけど、

そういう時のためのチャフでありたいですねえ。

 

ではさっそく!

 

 

 

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パスカルいわく

「人間は、死、悲惨、無知を癒すことができなかったので、 自己を幸福にするために、それらをあえて考えないように工夫した」

 

「考える葦である」というほうが有名ですが、これもまたぐっとくる言葉であります。

つまり、その工夫が効果を発揮している時、人間はおそらく幸福なのであります。

ところがときどき、思い知らされてしまうときがある。

そうするととたんに、心が辛いわけですね。

 

私も最近は、知識も経験も、なかなか思うように集まっていないことを痛感することばかりであり、うっかり落ち込むこともございます。

足りないのなら増やせばいいのでありますが、頭がだんだん固くなってきているのか、昔ほど物分りが良くない。

困ったものですねぇ。。

 

という精神的な不安定さに、宗教が忍び込んでくるのが世の常であります。
そこに救いを求めることはいいことなのだと思うんですが、程度問題であります。

 

人間革命〈第1巻〉 (聖教ワイド文庫)

人間革命〈第1巻〉 (聖教ワイド文庫)

 

 

身内の話だとまた事情が違うのでしょうが、私は基本的に、誰が何を拝んでいようと別に良いです。参院選が近づいてきておりますから、意外な方が婦人部所属だとわかる機会も多いのですが、個人的な信仰に収まっている範囲なら良いと思います。

 

長崎には生長の家総本山がありますので、機会があれば一度伺ってみようと考えております。前はよく通るんですがね、神社本庁系の施設と違ってちょっと入りにくい。

 

生長の家ってどんな教え?−問答有用、生長の家講習会−

生長の家ってどんな教え?−問答有用、生長の家講習会−

 

 

どなたでもご参詣いただけます、ということなので、入っていっても怒られはしないとおもいますが、巨大な鳥居が何しろ威圧感があります。

 

宗教。

長崎の場合は特に、クリスチャンが多い。

他の地域に比べれば、信徒さんに出会う機会は多い、という程度ですが、教会の数が単純に多いので、街の風景として欠かせない物となっております。

 

以前ご紹介いたしましたように、長崎は黄檗の寺も多い。

chuff.hatenablog.com

歴史的にも価値のある寺が多いのですが、いまいち知名度は低いのです。
それは仕方ない。長崎の鐘永井隆博士もクリスチャンですし。

 

長崎の鐘 (アルバ文庫)

長崎の鐘 (アルバ文庫)

 

 

黄檗の寺がありまんねん、という勝負だと、首都からの客に「田舎からようおこしやす」といえてしまう連中に勝てないのであります。

 

京都ぎらい (朝日新書)

京都ぎらい (朝日新書)

 

 

三都物語、一度はやってみたいですねぇ。。

案内役次第では新書一冊書けそうですが、本題。

 

我が国では、鎌倉時代宗教改革が起きております。

女犯がどうした、文句あっか!

という宗派が結局趨勢を握ることになります。

 

 

真言立川流玄旨帰命壇のように、

仏典ちゃんと読んだらそうなるよね、

というところに至った密教系もありはしますがね。

 

アレンジってすごく大事なわけです。

野に咲く花は美しい。手に取らず、野に置いてこその花もあるわけです。

フランスの社会学デュルケームがいう聖俗二元論では、聖、つまり宗教的に正しいことと善悪は別だ、と説明されております。

 

一昔前は、この一文を書くために図書館に通わなければなりませんでしたが、今は簡単なものです。自分で言うのもなんですが、それっぽいことを言う人には警戒せねばなりませんな。

 

宗教的正しさは必ずしも善じゃないよ、

俗の側の言い分だって良いことは良いんだよ、

と19世紀のフランス人が主張したのであります。

我が国で、女犯とか眠たいこと言ってちゃダメだよ、と法然親鸞ラインが密教系の仏教をぶち壊したのがそれに当たるのではないかと思います。12世紀の出来事ですね。

 

歎異抄

歎異抄

 

 

 

そもそも、ガンジス川に色々流しちゃう文化の人たちが思いついたこと。

それを道教が生活の隅々まで行き渡っている人たちがアレンジして受け入れたもの。

それを、八百万の神が幸ふ国が物部と蘇我宗教戦争の結果、妥協的に受け入れたものを、末法で色々アレになっている鎌倉期に宗教改革でバーン!

 

とやっちまったのが、今我々が高確率でお葬式で触れる「仏教」になっているわけであります。

本来のものとずいぶん違っているというのはそうなのですが、そもそも、山の登りようは一つではないですよ、というのが仏式のはずですからね。良いんですよ、どうでも。

 

南無阿弥陀仏でも南妙法蓮華経でも、

南無大師遍照金剛でも大丈夫なのだから、

アーメンだろうとアッラーアクバルだろうと

 

必ず成仏できるはずです。

大乗とはそういう宗教です、

私の理解では。

 

数年前、坊主が法話で「神棚と仏壇が同じ部屋にあるのがおかしい」という内容の話をしておりましたが、即座に「神仏習合時代ってなんですか?」と頭に浮かびました。でもね、宗論はどちら負けても釈迦の恥、という言葉がございますから。言い争いは止しましたが、凝ると負けなのが宗教です。

 

だって、人間の頭からでたものですよ、全部。

人間である私やあなたが、それに振り回されてどうするんですか。

とは言うものの、疲れていたり苦難にあったりするとね、

すがりたくなるのはわかります。

 

私も肉置きのいい妙齢の女性から

 

「ね?ちょっと信じてみませんか?」

 

と言われたら、話を聞くのもそこそこに、ゆったりとした胸元からちらちら見える谷間に意識が行くことでしょう。

人間、どうとでもなるし、最後は骨になるのです。そこまでの過程に過ぎないのだから、せめて気分良く生きたいものですね、と。

ちょっとストレスが貯まり気味のこの頃、自分に言い聞かせるように話を紡いでみた私でありました。了

 

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ここ数年やたらと目につく、『名言』を集めたサイト。

私ねえ、アフォじゃないかと思うんですわ。

その名言も、どの文章の中でつづられたのか知らんのでしょう?

 

でも、そういうの読んでる人に限って

○○○は、こう言ってんです(ドヤ顔)と、

何か間抜けなこと言うわけです。

 

名言だけ知ってるって、なんか恥ずかしくないっすか?

 

(あー、年取ると愚痴が増えるねえ。やだねえ。青さんなんか送りますわ!でクリック!)