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ジョン・ナッシュについて勝手に考えてみる

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天才数学者と呼んで間違いない

ジョン・ナッシュ

一般的には、この映画のモデルとして

有名でしょうね。

 

この映画については、いろいろ悲劇も

生んだのは事実だと思います。

しかし、この天才から学ぶことは多いのです。

一つは「天才」とはなにか?

もう一つは「理論」とはなにか?

 

この二つを分けて論じる必要がありそうです。

ということで、もしかしたらシリーズ化です。

 

 

この前、AF確率をはじき出したSさん。

chuff.hatenablog.com

彼によると、資本主義が完成したのは

ジョン・ナッシュ以降と考えられるようです。

 

一体、数学者が

何をしたのか

気になりません?

 


まずはそこから考えてみましょう。

 

 

非協力的ゲームと協力ゲーム

非協力ゲーム

まず「純粋競争」という概念があります。

単純に何かを奪い合い、勝者が手にするわけです。

この世界では、勝者が敗者からすべてを奪うことになります。

所有の完全なる移行です。

次に「利益の分配」が起きます。

手伝った誰かに、褒美をやったりします。

時には敗者にさえ、分配をして

長期的に利益を得ようとします。

その場合、上下の関係が成立して

物質の分配は、服従と言う概念と

取引されるわけです。

 

この場合でも、常に敗者は必要です。

でなければ、勝者は存在しません。

よって、どこかに必ず「非協力」な存在が

隠れているわけです。

これが、非協力的ゲームと呼ばれるものですね。

これは資本主義の原型といえるでしょう。

 

協力ゲーム

上記の「非協力ゲーム」に対して、

その競争の参加者全員に、より大きな利益を

もたらす敗者無き競争を示すわけです。

 

例としては、こういうのどうでしょう?

ムラの人がそれぞれ労働力を提供し

灌漑用水を作る。それによって農作物が

成長し、生活飲料も飛躍的に使用できる。

しかも、その労働に比して、かなり長期的に。

 

この概念を成長させてゆくと

社会主義とかになるわけです。

そして、社会主義の完成形が

共産主義となるわけです。

その場合、「ムラ以外のこと」は

想定の外に置かれるわけです。

つまり存在しない、わけです。

 

それでも、労働力の提供量に比して

使える水量が変わるとすれば、

それは『資本』の成立ですので

均等に分配されると言う前提と、

労働力が均一に提供される必要はあります。

小さなコミューンでは可能かもしれません。

 

ビューティフル・マインド: 天才数学者の絶望と奇跡 (新潮文庫)

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この二つの均衡点の発見

ここが、長い間問題点だったわけです。

血みどろの非協力ゲームに

ちょっと世界(って言うか白人)が嫌になってたんですな。

経済の話ですんで、基本的には数学の世界。

 

アダムスミスの場合、

あそこまでしか解析できなかったんで

「神の見えざる手」が登場したわけですね。

 

国富論 国の豊かさの本質と原因についての研究(上)

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そして20世紀の入り口では

もう完全理論としての「勝者の理論」は

完成されていたわけです。

 

しかし、それでは

儲けが少ないわけです。

 

 

悪く言えばもっと強欲に。

よく言えば社会の成長と。

そのためには、どうやったら

そのちょうどいいところを

見つけられるかの、数学的発見が

 

ナッシュ均衡

 

と呼ばれる考え方なんですね。

先述した映画の中で、

 

 

そのきっかけとなるシーンが

パーティーで描かれています。

ホントかどうかは知りませんけど、

ホントな確率は、理論上では63%のはずです。

これはSさんによって証明されてますからね。

 

ちなみに「嘘かホントか」と考えると

嘘の確率は63%です。

理論上は。

 

 

まあ、映画ではこうなっておりますね。

 

あるパーティで凄い美人を見る。

こいつを口説けるのは、あのハンサムだけだ!

となると、彼以外は全員敗者となる。

全員が利益を得るには、彼女を排除すべきなのか?

いや、そうではない。

男性全員が、その女性を選んではいけない!

としてしまえば、多くの人が「勝者」になり、

みんなきっと楽しいパーティーになるはずだ!

 

ここで、先行していた独占禁止法

数学的証明が始まったわけですね。

つまり、現代資本主義の成立です。

最も勝者の多き時代の到来。

栄光のアメリカの時代。

 

 

果たしてそうなのか?

疑問① その美女のチャンスを奪う権利は?

公共の利益、もしくは公共の福祉のため

その美女が天性として持っている美しさは

阻害要因たるのか?

もしくは、それを制限する権利は

誰に存在するのか?

 

疑問② 全員が本当にその規則を守るのか?

抜け駆けする奴はいないのか?

もしくは、他の女の子を

本当に妥当な扱いをするのか?

そうしなければ罰則があるとしても

現実的に成立する約束なのか?

これは論理上も無視できる『例外』

ではありません。

かなりの頻度で起きる『事象』の可能性はないのか?

この疑問もわきます。

 

疑問③ これは協力的ゲームと言えるのか?

均衡場面ですので、多少のことは

目をつぶるとしても。

これは最大多数の幸福のために

あらかじめ犠牲者を前提とすることを、

もしくは敗者のそんざいすることを、

理論上容認しているのであるから、

非協力ゲームではないのか?

という疑問が出ます。

 

お答えします

 ナッシュ均衡は、ナッシュ交渉解と進展し

最終的には「ナッシュ・プログラム」という

ものに変じてゆきます。

 

で、このナッシュ・プログラムってのが

実にすごい。

 

あー、やっぱ全部の協力ゲームが

ウソやったって分かってしもたー!

 

って話し。

つまり、すべてのゲームは

やはり非協力的なもので、

富は独占される運命にあると

証明しちまったわけ。

 

つまり、やはりハンサムが

美女をコマストいうことが

証明されたわけです。

 

この間、約二年。

1950年前後のことです。

しかし、そこはあんまり広がらなかったんですね。

よって、知識は独占されたわけです。

これは、富の独占につながる確実性です。

 

エスタブリッシュメント 彼らはこうして富と権力を独占する

エスタブリッシュメント 彼らはこうして富と権力を独占する

 

 

みんな均等になる世界を信じたわけです。

日本国憲法は、その点において

実によくできているわけです。

ナッシュ均衡の前ですから、

数学的裏付けはなかったわけですが。

 

まとめ

極端に言えば、金融工学なるモンスターは

彼が起動させたわけです。

ところが、彼はその後は別のことに関心が移り

ゲーム理論からは離れると言う鬼畜ぶり。

 

まあ、彼が起動させなくても

現実に起きていたわけでしょうけどね。

彼によって、理論が現実よりも

先を行くようになったわけです。

 

ここで勘のい人はおわかりかと思うのですが、

「理論」というのは「前提」が大事になるんです。

そして、その「前提」は文法と同じように

当事者には理解を超えて、

空気のように存在するわけです。

 

では、その「前提」を理解できない人は?

 

想定の外に置かれるわけです。

つまり存在していないと言うことですね。

そうなると、信じたい部分だけを認める。

言い換えれば、大衆は

 

信じる部分だけを理解するわけです。

これが「イデオロギー」なわけです。

 

 

って、ここまで書いておいて思ったんザンスが、

これまったく需要ないっすよね?

 

(あるなら続けますけれど、もう嫌になってません?まあ、そう言わずクリック!)

 

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