できれば、その1よりお読みいただければ、わかりやすいかと。
武士の「誕生」の歴史的分析は、もう大変なことですのでこちらにお願いします。
興味のある方には、面白く読める本だと思います。
この中で中本は、「日本独特の文化史の上にしか成立しない集団」と明快に分析して、その論拠を示しています。
では、第二期成長期、人間で言えば娘盛の色っぽさ。
戦国時代に突入してみましょう!
このあたりのことを迂闊に書くと、厳しい糾弾がありそうな気がします。
なんとも詳しい人が増えましたからね。
ですので、特定の誰それとは言わず、大雑把にいきますね。
まずはこれをお読み下さい。
これね、分かる人いないと思います。
一体何をやってんでしょう。これ。
日本史の上でも、意見が一致しているのは
「もう、わけわからん!」
ってことなんです。
ここ大事です。わけわからない集団が、わけわからないままに無茶苦茶やってるうちに、
なんとなくお作法ができてきた、というのが戦国時代です。
内乱というより、内戦ですねこれ。
その時代に「武士の棟梁」であるはずの、足利義政によって作られたシェルターハウス、
応仁の乱の後に建てられたと言っておりますが、どうでしょうねえ。。
どこで乱が終わったのかは、実際は不明なんですよね。
銀閣寺も、「銀閣」が正しいとか、もうどっちでもいいですけど、いろいろあるわけです。
分かっていることは、足利義政が、塀の外の死体の山や、荒れ地となった京都に見切りをつけて、
物理的にも精神的にも、ガチでニートになった引きこもりの場所、と考えればいいわけです。
いいですか、一番偉い武士がこれなわけです。
ここ行ってみるといいですよ。
あの美しい庭園を見ながら、腐臭が外から漂ってきていた、何かを想像するのは、
とんでもなくシュールなわけです。
究極のワビサビ!
大好きです!私!
東山というのは、京都の外れにあり、まあ田舎なわけです。
本来は。
洛中と洛外、でいうと完全に洛外。
このあたりのことは、この本で。
ですので、私たちがイメージする「武士」ってのは、
少なくとも東山文化以降の出来事、となります。
わやわややってるうちに、やはり名門が力をつけてきます。
いわゆる戦国大名の登場ですね。
ここで、戦国大名にあまりロマンを持たれないほうが良いと思います。
あれは領地を経営して、拡大を狙うベンチャー的なCEOと考えるのが妥当となります。
そうなると、部下の中でも、一種の官僚制度ができてしまうわけです。
家来の中でも、名家とかいろいろ。
ここでも有利に働くのは、日本唯一の部族概念である「平氏と源氏」となります。
もちろん、この二派が、その官僚の中に食い込んで徐々に組織だってきます。
一方、平氏でもなければ源氏でもない人間にも、ベンチャーのチャンスが訪れ、
「武士」になり始めます。
この代表格が、豊臣秀吉と前田利家ということになるのでしょうね。
そして、この彼らによって「義」と言う概念は強固になってゆく宿命を帯びるのです。
って、ことはですよ、
武士道って、武士じゃない人が武士になったからできてきた感じ。
とも言えるんです。
孔子が「仁語られる国に仁なし」と言っておりますが、まさにあれですね。
上の二人がなぜ影響あったのかというと、源氏側の人間に、すっごく恩を売っていたのです。
みんな頭が上がらんわけです。
でも、そこでちょっといろいろ考えるようになったわけですね。
ところが、それを屁とも思わない人物が登場します。
本当は源氏じゃなかったんじゃないかと言われる千両役者。
徳川家康です!
なんとなく、いいところまできましたね。
(ますます、謎の深まる武士道。そうです、それでいいんです。だからクリック!)