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忠は殿を問わず The Soul of Japan 武士道 その3 

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その1はこちら。

その2はこちら。

 

もっとめんどくさいお話にうつる前に、

武士道とクリスチャンの関係について、

触れておいた方が良いと思います。

 

新渡戸稲造がクリスチャンだったことは、お話ししました。

chuff.hatenablog.com

 

戦国時代にも、キリシタン大名けっこういたんだから、

不思議じゃないんじゃないの?と思うのは、間違いです。

これには、もっと深ーい事情があるのです。

 

 

 

 戦国キリシタン

長崎の隠れキリシタンは、実は当時ではマイナーなんですよ。

あそこの話しは不憫というか、やってられないですよねえ。

守り通したのに、正式に代々の洗礼を認められたのは、2014年。

 

ついこの前です。

論議が始まったのは、日本がバブル景気の時に、

札ビラを切ったからという。。

また、カクレキシリシタンとして、カソリックからも独立した派閥とか。。

 

もう分かんないですよね。

まあ、分からんでもないです。ローマのいい分も。

司祭がいなかったということは、名簿に登録されてないわけです。

カソリックは、洗礼者の名簿を一元管理しています。

これが、有効な外交カードで、儲けに繋がったわけですね。

それを、おいそれと勝手に洗礼されたら、たまったものじゃないわけです。

 

その経済的な有効カードを行使したのが、キリシタン大名

婆娑羅のムードもあったでしょうしねえ。

奈良や比叡山高野山に、

へりくだらなくてもよかった、ってのもあるでしょうしねえ。

 

当時の仏教なんて、本当に愛想つかされてますし、

神社仏閣は、闇の既得産業であったんですよね。

本願寺にいたっては、露骨に大名みたいなものですしね。

大阪城って、あれ本願寺跡ですからね。

 

もっと平たく言えば、新しいからカッコ良く見えた、

ってこともあるでしょうね。

この流れは、奈良時代の仏教も同じですね。

東大寺なんか、荘厳でハイカラな、

ド派手な外来宗教だったわけです。

 

江戸時代、日本はほぼ無宗教な時代に入ります。

比較できるのは、きっとローマ帝国初期くらいの無宗教です。

これ、本当にレアなんですよ。世界的に。

先祖崇拝位はやりますが、神社仏閣はレクレーションでしかありません。

よく言えば、現実主義。

悪く言えば、救いはない、そんな時代です。

 

なので、廃仏毀釈も、全然抵抗ないわけです。

 

その代わり、奇妙な絶対的な、上下関係が確立していったのです。

それは身分とも異なる、「お上」と言う考え方ですね。

 

明治のキリスト教

さて、明治に入り「お上」であった、徳川はいなくなるわけです。

ここで、分かれ目ですね。

 

時代に上手く乗った階層は、比較的カソリックに流れます。

既得権ありますからね。

でも、洗礼までは行きません。気分だけです。

その雰囲気が、今の名門私立女子校と言ってもいいでしょうね。

聖心系列とか、双葉系列なんかはその典型です。

 

ところが、この波に上手く乗れなかった人々がいました。

主に士族の中にですけどね。

 

カソリックは、なんとなくあわないわけです。

ぬるく感じたんでしょうねえ。

プロテスタントは、一般的な意味で、カソリックより

いろいろ厳しい。

その感じが、すごくよかったんでしょうね。

 

実際がどうかは関係なく、あくまでイメージでしょうけれどね。

「殿」がいないので、そこに「イエス」を置くと、

ものすごく落ち着いたんでしょうなあ。

 

カソリックは支配層を狙い、

プロテスタントは、落ちぶれ層を狙った、

と言ってもいいでしょうね。

 

まあ、布教とはそういうものです。

このキリスト教と武士戸の相性のよさは、

この本で丁寧に語られています。

 

任侠のエトス

任侠のエトス

 

 名著ですが、絶版のようですね。

興味がある方は、図書館とかで探してみて下さい。

 

まあ、大体が武家の出で、今一流れに添えず、

社会運動もかねて、ちょっとかっこよかった、

ってことだと思います。

内村鑑三もね。

 

ところがどっこい

彼らは先行者利益を得て、お金のある人は外遊するわけです。

お金のない人は、北海道とかに屯田兵でいったりするわけです。

 

そこで出会うのは、習ったキリスト教とは全く異なる世界なわけです。

キリスト教ってのは、キリスト者が、

哀れな非キリストに布教するわけですから、

当然、差別を内包しています。

 

そもそも、最後の審判で救われるのは、

キリスト教徒だけって設定ですからね。

 

なので、昨日今日キリスト教になった日本人など、論外なわけです。

これが彼らには許せなかったわけですね。

 

新渡戸稲造なんかは、メソジスト系から、

クェーカーに鞍かえしています。

このクェーカーってのが、非戦闘のためには好戦的、という新派です。

つまり、新しいとこの方が、差別が少ないってわけですね。

 

差別が少ないところに入って、差別できる精神構造を保っている、

と言えば、言い過ぎでしょうか?

 

まあ、これはキリスト教に限らず、

どの時代でも、どの考え方でも、

同じなんですけどね。

 

まとめ

ってことはですね、「忠」の気持ちはあるんですよ。

でも、それを向けるのは「殿」でなくても良いわけです。

なので、それは「天皇」でもよいし、「イエス」でもいい。

是非を問わず、って感じでしょうね。

 

この心性は、確かに「武士道」の芽生えかもしれません。

信長のいたった心境(と言われている)

「是非に及ばず」を、

ぺーぺーの下っ端侍も持てるようになったわけですから。

思想の大衆化ですね。

 

こういう流れから、私は明治期の頭山満などの、

右翼巨頭が誕生したんだと思います。

 

なんか、話しが壮大になり、

ちょっとくどくなってますね。

 

つづきはまたいずれ。。

 

chuff.hatenablog.com

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