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明治初期の武士道 The Soul of Japan 武士道 その2 

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chuff.hatenablog.com

が、えらく受けが良かったので、

ちょっと頑張って続きを書いてみますけど、

 

けっこう、がっかりな話しが続きますよ。

多分。

 

今年は、大政奉還150年らしく、

京都ではいろいろ盛り上がっているようですね。

先日パリ・マグナム展に行った時、

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あちこちでイベントしてました。

でもよく考えたらですよ、

たった150年なんです。

感覚的には遥か遠い昔の話しで、

もはや神話に近い空想の世界にできちゃう時間です。

 

徳川の世は、それに更に百年。。

どんだけ長いんですか?

 

今回は、明治期に武士道がどう扱われたか、

を考えてみます。

身も蓋もない話しですよ、先に言っときますけれど。

 

 

 

 官軍の兵とはどんな構成だったのか?

これね、本当に身も蓋もない話しなんですけど、

正規兵じゃないんですね。

あれ、独自で動いた民兵なんですよ。。

 

精鋭部隊の武士たちは、実は故郷で殿様についてるんです。

官軍は、場当たり的に、どんどん大きくなってゆくんです。

ですので、殆どは、武士でさえないわけです。

 

ここポイントです。

 

もちろん、武士もいたでしょうけれど、

下っ端の下っ端がほとんどのようです。

 

簡易な志願兵みたいなもので構成されてるわけです。

後の、徴兵制による、軍隊の基礎ですね。

海援隊とか奇兵隊とか、もろにそうですもんね。

本来なら、なにもさせてもらえない人たちなわけです。

でも、一旗あげられるチャンスがめぐってきたわけです。

 

なので、殿様の命令で動いていないんですよ。

 

島津や毛利の殿様は、

維新後は自分が将軍になれるくらいのイメージ、だったようです。

その民兵の隊が、官軍になって、江戸を占拠しちゃった!

すごいい加減な話しな訳です。

 

結果的には、殿様は、のきなみ失業ですわ。

武士道的にいいんですか?ってなるでしょう?

いや、いいんですよ、この時点では。

なぜかというと、武士道をつぶして、

新しいの作りたかったわけですし。

 

忠君とか言ってると、

自分が上に行けません。

ですので、「殿」の代わりに、

天皇」にしたわけです。

 

これなら、忠に背きませんし、

「殿」に縛られなくても済みます。

 

って、ことは、維新後の軍隊の構成は、

どうなってるかというと、

 

寄せ集めなわけです!

 

これね、もったいない話しなんですよ。

よく考えてみれば。

なんだかんだ言って、戦闘専門集団が世界一いたわけです。

もちろん、それは武士です。

それを構成すれば良かったんじゃないか、って普通に思いません?

でも、そうできない事情があったわけです。。

 

武士は殿様の個人部隊

ここも大事ですね。

禄、つまりサラリーは、殿様から貰っているのが武士です。

その親分である殿様は、今の知事とは違って、

その藩の経営者なわけです。

そう言う意味では、国王に近いわけです。

そう考えると、幕府は王国の集まった、

ナショナルズ・ユニオンだとも言えるわけですね。

 

旗本とかは、徳川の直属の正規社員な訳ですが、

多くの武士は、各殿様の正規社員なわけです。

 

これは、高杉晋作なんかも同様でしょう。

彼は毛利家の熱狂的な部下でしたので、

もし長生きしていれば、

明治政府とドンパチやったことは確実でしょうね。

その前に、西郷に対して、

テロをやった可能性もあると思います。

 

なにせ、彼の日本国のイメージは、

毛利家がリーダーとなり、

関ヶ原での恨みを晴らす事ですしね。

250年前の恨みをね。

今一度、長州毛利家を、

関ヶ原あたりから、軽くおさらいしてみて下さい。

関ヶ原の戦い - Wikipedia

 

ここが問題になるわけです。

 

軍隊の編制には、武士は邪魔だった

ああ、もうこれはとても難しいですね。

武士というのは、江戸期を通じて、社会的階級なわけです。

ところが、近代軍隊には、軍内階級があるわけです。

 

軍隊と言うところは、一種の官僚社会でもあるわけです。

官僚社会の良いところは、出自よりも、

その時の階級に、下は絶対的に従わねばならない、ってことです。

 

ってことはですよ、名門出身の武士が、

お百姓さんだった先輩に服従なわけです。

 

こりゃ辛い。

だって、この前まで、へーこらしてた、させてた、関係なわけですからね。

 

ところが、明治政府には、それをする必要があったわけです。

明治政府の主要メンバーは、どいつもこいつも、

実はそれまでの階級が低いんですよ。

時代がちょっと違えば、ハナにもかけてもらえない立場です。

 

公家さんですが、あの岩倉具視もそうです。

公家さんのなかでは末端のしょぼいポジションです。

食うに困って、自分の家を博徒に貸し出し、

賭場を開いていたってのは、有名な話しです。

 

これは、西郷にしても、木戸にしても、皆同じです。

 

ってことは、いったん武士を排除して、新秩序で自分たちが偉くなる必要があったわけですね。

 

ところがどっこい

物事は、そう簡単にはいかないのです。

頭のいいエリートたちは、新しい秩序や階級に適応できますが、

庶民はピンと来ない。

 

その庶民によって、作られたのが軍隊です。

つまり、銃や刀を持っているわけです。

 

この前まで、鋤鎌鍬しか持ってなかったのにです。

そうなると、実は危険な集団が生まれた事に、気づいたんですね。

 

この状況、ちょっと何かと似ていると思いませんか?

そう!

前回書きました、「葉隠」登場前後の、武士の状況と似てるんです。

安易に使われては困るんですが、

持ってりゃ、そりゃ威張りたくもなります。

ましてや、西南戦争で勝ってしまった後なんか、

「あの薩摩に勝った!オラが軍隊!」

 

つまり、いまでいうところの「オラオラ」になるわけです。

 

そこで、明治政府は、自分たちがぶっつぶした物に目をつけます。

 

ここで武士道復活です!

 

その一翼を担ったのが、新渡戸稲造となるわけです。

そうなると、

The Soul of Samurais ではなく、

The Soul of Japan となった背景も、

なんとなく見えてきましたね。

新渡戸家も、盛岡の名家ですが、どうもうさんくさい。

複雑な心境だったと思いますね。

 

サーベルを、軍刀に替えたり、いろいろイメージ戦略します。

兵隊にも、

 

「おまえたちは、武士である!」とか言い出すわけです。

 

言われた兵隊も、なんか気分いい訳です。

 

このあたりから、結構な頻度で、血筋の捏造とかやってんですわ。

戸籍からさかのぼって、新田義貞につなげるような、

でっち上げ屋が大繁盛。

 

なんだかんだ言って、

250年の間に培われたイメージを、

どうしても欲しかったんでしょうねえ。

 

これの代表は、ちょっと時代がズレますが、

坂本龍馬でしょうね。

彼、武士じゃないですからね。

武士にすっごくなりたかったようです。

でもなれないから、新しい出世の道を造りたかった人なんでしょう。

坂本家の悲願でもあったわけですし。

坂本龍馬ファンの人は、司馬遼太郎以外も読んだ方がよいですよ。

みな、司馬先生に洗脳されすぎですからね。

面白いですけど、あれはフィクションですからね!

 

ここで、概念の大衆化が必要となるわけです。

つまり、すっごく簡略化されないと、

下々には理解できないわけです。

 

武士道なんか、特に!

 

この簡略化に、最も貢献したというか、

ハマった人物が、乃木希典ではないかと、

私は思います。

 

そろそろ飽きてきましたよね?

では、次回はこの続きか、もしくは荘園制度あたりのお話で。

 

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(まあ、たまにはいいんじゃないかしらね。こういうのも。そこでクリック!)

 

「司馬?太郎」で学ぶ日本史 (NHK出版新書 517)

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