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オートバイと青い空

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今週のお題「空の写真」

 

梅雨が長引くと、気持ちが寂しくなる。

青い空が恋しいのだと思う。

そこで、青い空をなぜ恋しいのかと考えてみる。

 

誰だって青い空が恋しいとは限らない。

それは決めつけってものだろうから、

恋しいには恋しい理由があると考える。

その仮定に従って、空を見つめてみる。

その仮定に従って天気予報を見る。

 

明らかに寂しい。

この明快な気持ちとは裏腹に、その根拠を見つけられない。

そこで、青い空からつながる私の連想を書くことにした。

 

 

私の記憶にある最も遠いものは、列車の夜の窓。

よってそこではない。

青い空を意識したはじめての時間を、思い起こしてみる。

 

山あいを流れる小さな川。

流れは早く、底は深い。

 

その川の中に突き出した白い岩。

その岩を中心に、川は大きく曲がり、

削られた岩肌が川幅を広くしていた。

 

私の記憶の中のその岩は、とても熱い。

川で泳いで耳に水が入ると、その岩に耳を押し付ける。

頬は熱いが、しばらくして耳から水が自然に抜ける。

 

その入り組んだ場所の向かいには

大きな木が生えていて、川に影を落としている。

その部分の水は冷たく、そして苔が生えている。

 

毎年そんな川で泳ぎ続けていた。

その時、空は青かったはずだ。

記憶の中にあるそれは、たしかに青い。

 

では、あれが恋しいのだろうか。

あの川が恋しいのだろうか。

そう思う年齢でもないことに驚き、

実際に遠くなってしまったその郷里を

思い出すことはあまりない。

 

その川で過ごした最後の夏はいつだっただろうか。

その夏、エルビスが死んだとニュースで流れていた。

ということは、1977年だ。

 

1977年。

42年前の夏だったわけだ。

きっと寂しいのは、それがもう42年前のことだからだろう。

つまりその時から今までの時間、

つまり42年という時間なのだが、

空が青いかどうかも

気にしていない時期もあったように思う。

 

それはどういう時間だったのかと言えば、

もう思い出せないような時間だ。

思い出す必要もない時間と言ってもいいだろう。

そういう時間が時に今もあるわけだけれど。

 

今手元にある車は、その時もう誰かが運転していた。

きっと愛されたに違いない。

だれかが、その夏を過ごしたはずだ。

違う空の下で、もう動いていた。

 

そう考えれば、動くということは

生きているということだ。

そうだ、死者は動かない。

 

オートバイに乗っているとき、

身体は常に動いている。

この常に動いているということ、

それ自体が生命だと言ってもいいだろう。

 

死者は動かない。

永久に動かない。

 

そう考えてみると、お盆が夏にあるということは

必然かもしれないな、と思いつく。

動いてほしいのだ、語ってほしいのだ。

その存在を感じさせてほしいのだ。

 

川の匂いを思い出す。

苔むした岸に漂う、乾いた干物のような

むせる匂い。

美しい香りではない。

しかし、生きる者の愛しき匂い。

 

流れる川の、小さな岸辺。

青い空を見上げながら、白い石を放り込んだ

あの時間が夏なのだろう。

 

動くこと。

それは、青い空の下でこそふさわしい。

生命とはそうあるべきではなかろうか。