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特攻隊を考える

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時折、特攻隊について考える。

夏が近づき、空が青い五月は特に。

 

この写真は、アメリカの雑誌ライフに掲載されたもの。

アメリカの戦艦から対空砲火を受けながらも、

超低空飛行で特攻する特攻機

それをライフのカメラマンが捉えたのだ。

胴体下部に、爆弾を抱えているのが確認できる。

 

キャプションによると、

この機は衝突直前で被弾。

爆発した機体の破片により、

カメラマンは負傷。

周囲の兵5名死亡。

とある。

 

 

見事な飛行技術である。

このことから、パイロットは

新兵ではないと思われる。

死への恐怖によるパニックでは、この低空飛行はできない。

明らかに冷静に操縦している。

そのことから、操縦技術の高かった

特攻作戦初期の画像と思われる。

その後、熟練パイロットは本土防空の局地戦にあてられ

特攻作戦のパイロットは、

新兵に近いパイロットに移ってゆく。

 

昭和20年であろうとも

パイロットになれたのは一種のエリートたちだ。

知的な水準も高く、単純な人間たちではない。

その彼らは特攻することを

どう思っていたのか、一時期文献をあさった。

 

その資料の中に、

毎日新聞が掲載したこの写真がある。

 

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八重桜を振る女学生と、特攻隊。

とても有名な写真である。

しかしこれは合成写真だ。

軍が作ったのではなく、新聞社が作ったのだ。

絵になるという理由で。

新聞とは、このレベルなのだ。

いつの世も。

 

 

このような安易なイメージではなく、

特攻隊員は確実な死を前にして

何を思っていたのだろうか。

それを知りたくて、九州の知覧まで赴いた。

資料を大量に読むうち、

こういうものだったかもしれない、という資料に出会った。

 

一つは、特攻隊員の母の手紙である。

母親は字を書けなかったらしく、

代筆者もカタカナしか書けなかったようである。

 

ワシハジヲカケンカラ、アニニタノム。

ナムアミダブツトイッテクダサイ。

ワシハムズカシイコトハワカランユエ

ナニモイッテヤレヌ、スマン。

タダハハノコトバトシテ、ドウカオボエトッテホシイ

ナムアミダブツ、ワスレタラアカン

ドウカドウカ、ナムアミダブツ

 

 

その手紙には、多分息子の血染めであろう文字で

 

「承知」

 

 

 

 

また、別の資料にはこうある。

それは遺書ではなく、日記である。

ある特攻隊員は出撃前にすることもないので、

散歩していたらしい。

周辺の人は、知覧の若い兵隊たちが

特攻隊員であることは、もちろん知っている。

 

 

私が昨日歩いていた時、おばあさんが畑仕事をしていました。

腰が曲がった小さなおばあさんは、汗を流して鍬をふるっていました。

遠くからわたしがそれを眺めていると、おばあさんは私に気づきました。

おばあさんは、私に向かって手を合わせ、曲がった腰でさらに頭を下げてくれるのです。

私は、おばあさんそんなこと止めて下さい、と叫んで、走りよりました。

でもおばあさんは、じっと手を合わせて頭を下げ続けてくれるのです。

このおばあさんのためになら、死んでもいいかなと、その時思ったのです。

それまでは知りませんでした。

 

 

 

彼らは出撃して、記録は戦死。

二十歳そこそこ。

 

 

結局わたしには、彼らの想いなど分かりませんでした。

到底無理なのです。

ただ、ただ、涙が止まらなく。

資料を汚すのも申し訳なく、身をかがめて泣きました。

 

悲しいというのでもなく、辛いというのでもない。

よもや、かわいそうなどというようなものでもなく。

わたしは、ただただ泣いたのです。

 

確かに、彼らは死んだのです。