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マン島での道 その46 死者への敬意

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マウンテンコースでもベンチを見つけた焚火の男。

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そこで見たものは、意外なほど見慣れたものでした。

ではさっそく。

 

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そのベンチには、日の丸がついていた。

 

4年前のレースで亡くなった日本人レーサー、

松下ヨシナリ選手の名を冠したベンチだったのだ。

 

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マン島では、レースで事故死したレーサーを追悼して、

その名を刻んだベンチを作る。

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果敢にマン島にチャレンジしたレーサー。

しかも日本人のレーサー。

死して、魂はここに眠るのだろうか。

マン島で死んだレーサーに対する、畏敬の念は、

どのレーサーに対しても変わらない。

この島に来てみれば分かる。

彼らがいかに勇気と決意を持って走ったかを。

 

しばらく無言で見つめて、オレは手を合わせた。

 

それにしても、

亡くなったライダーを称えるのに、

なぜベンチなんだろうか。

 

本来ベンチってのは、

座ってくつろぐためのものなんじゃなかろうか。

しかし、その意味を知ってしまうとなんか・・・ 

座りづらいよね。



再び車に戻りオレ達は先へ進んだ。

次から次へとライダーが、

オレ達を追い抜いていく。

 レースを観終わったばかりの彼らは、

当然熱い走りになっている。

とんでもなく飛ばしているわけだ。

 

それが、まぁ何とも気持ちよさそう。

 

目に映る景色は、日本では経験できない雄大さである。

こりゃ、たまらんだろうなあ。

 

と思っていたら、道路脇の柵が壊れている所があった。

ついさっき、ハッチンソン選手がクラッシュした、

まさにその場所のらしい。

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路面にはタイヤ痕が生々しく残っている。

それを見ると、我に返る。

栄光は、このような事故と、

常に裏腹なのだ。

 

普通に道を走るオレたちも、

何かの拍子に、あっさり転んだり死んだりする。

それをオレは自分を含め、いやになるほど見ている。

オートバイは、儚い乗り物なのだ。

しかもここはマン島だ。

猫が鰹節を好きなくらいに、普通のこととして事故がある。

 

標高があがるにつれ、

少し霧が出てきた。

大きめの駐車場に車を停める。

ライダーはみんなそこへ立ち寄る。

それには訳がある。

 

そこにはキング・オブ・ロードと呼ばれた、

ジョイ・ダンロップ銅像があるのだ。

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近くで見るとかなりリアルに作られている。

ジョイ・ダンロップは、

1976年から2000年まで、マン島TTを走っている。

 戦績は、通算26勝。

“キング・オブ・ロード”と呼ばれるのも当然なのだ。

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ヘルメットのアライが作ったのかな?

しかし、彼はマン島で死んだわけではない。

彼はエストニアの公道レースで死んだのだ。

ジョイ・ダンロップ - Wikipedia

因果な話である。

 

それでもマン島は、彼の銅像を作った。

マン島における、彼の存在の特別性が分かるだろう。

先ほどのシニアクラスで優勝したマイケル・ダンロップは、

彼の甥っ子にあたる。

kininarubikenews.com

 

写真を撮ったりしながら過ごしていると、

霧がどんどん濃くなってきた。

気温もかなり下がってきた。

さっきまで観戦していた街中に比べると、

格段に寒い。

 

オレ達は車に戻り再びコースを走り始めた。

 

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敬意の表し方には、世界中にいろいろあります。

マン島のレーサーに対する敬意は、

いろいろ考えさせられます。

 

焚火の男が言うように、座るのは抵抗がありますね。

これ、日本人の感覚なんです。

「そこに座る」ってことは、

キリスト教的には敬意の表れでもあります。

西洋人は、「座る」ということが、

彼らの文化にはなかったんです。

ずっと、基本立ちっぱなしだったんです。

(だからパーティーとかでずっと立ってられるんでしょう)

やがて、椅子に座るという文化が根付きます。

これ、大体キリスト教の影響です。

座るという行為が、踏みつけるような不敬ではないんです。

これなんか読むと分かりやすいです。

 

そこに座り、そして世界を見る。

それは象徴的な行為です。

彼らにとって、こういう椅子は、

のんびりするために座るわけではないのです。

もともと、休憩のために座る文化もありません。

それは日本人とアメリカ人くらいでしょう。

ここは、焚火の男は間違っていますね。

椅子というものに対する感覚が違うので、

それは仕方ないですけれども。

 

そこに座ること自体が、常に敬意であるわけです。

死者の見れなかった世界を、

今座っている人が見て、その人が死者を想う。

それは、死者の魂と並んで空を見ることなんです。

ですので、その魂の分の席があるので、

一人掛けではなくて、ベンチなんですね。

このとき、同じ天を見るという感覚だそうです。

座るということは、西洋人にとっては、

祈りの一つの形でもあるわけです。

 

(こういうのは、よく分からないもんだよね。でも決めつけはダメ!そこでクリック!)