まず前提として、私個人としては、
賛成でも反対でもないということを言っておきたいと思います。
制度として、変だとは思いますけどね。
論理的な話をするときは、いかに論理的であろうとも、
読み手や書き手の、主義か出やすくなります。
しかし、今回もこれまでと同様に、
法が論理で成立していると言うならば、
オカシなことに対して、
突っ込む勇気が必要だと思うんですよ。
そうでなければ、我々の国は法治国家ではなくなるはずですからね。
婿養子とはそもそも何か?
マスオさんは、婿養子ではありません。
彼は、嫁の家に同居しているだけです。
これは、原作では、復員兵のマスオさんが住む家がなかったゆえ、
仮住まいとして住んだだけです。
ですので、サザエさん、マスオさん、タラちゃんは、「フグ田」家です。
残りのメンバーは、言わずと知れた「磯野」家ですね。
財産のある家は、会社形態であったわけです。
これは、既にお話しました。
逆に言うと、財産のない「家」には、
「家」概念そのものがなかったわけです。
これを、全世帯に成立させたのが、
明治に制定された「戸籍」だったわけです。
旧民法の規定では、「家長」が財産総取り権がありますから、
女性がその立場にいるときは、
逆に言うと他家に入れなかったんですね。
戸籍制度維持のために。
この場合の結婚を、婿養子と言う形で、
成立させた、もともと無理筋なお話だったわけです。
明治以前はどうかというと、ごく一部を除いて、
あまり血縁にさえこだわらないので、
バリバリ養子の交換とかやっているわけです。
「あそこにできの良い男の子がいるぞ。よしもらおう!」
くらいのノリで。
これで有名なのは、勝海舟です。
ですので、戦争に負けるまでは、
まだ感覚的には成立していたかもしれません。
これが戦後の現行民法でややこしくなります。
民主的な法律と、慣例の融合
家長の総取りは消え、娘達が離籍していたとしても、相続権は失いません。
ですが、なんとなく嫌だったんでしょうねえ。
そこで、娘の夫を養子として迎え、相続権を娘と同じものとして、
つまり、二人を兄妹の関係にして、なおかつ結婚させるのが、婿養子です。
具体的には、一旦外に娘を出して、新籍から夫を養子にし、
その戸籍から嫁として娘を旧籍に入れるという離れ業を使います。
ここで、大事なのは、相続人が増えるということです。
これは、相続税対策にはなるでしょうね。
逆に言うと、お金のために籍を変えると言っても良いわけです。
これが、現行の婿養子制度になります。
現行民法では、婚姻後夫婦どちらの姓を名乗っても言い訳です。
問題は、それまで存続した戸籍上の「家」を、
継続するか否かの話しです。
Aさん(♂)がBさん(♀)と結婚し、B姓を名乗るだけでは、
婿養子としては成立しません。ただ、Bさんという名前で、
「新籍」を作っただけと言う事です。
それならそれで、わからなくもない。
家族を会社として考え、資産の分散を防ぎ、
税金をかわすためであるならば、
まあ非情に合理的なシステムといえるかもしれません。
しかし、これには、論理的な問題があるのです。
それは、「嫁養子」が存在していないことです。
法は、男女の差別を容認するのか?
これ、はっきり言って、容認していると思います。
現行の民法では、婿養子の場合の近親婚の制限はありません。
もちろん、通常の養子の場合は禁止されております。
ちなみに、結婚した人が、離婚して配偶者の二親等と再婚する事は禁止されています。
元旦那、あるいは元嫁が、相手の叔父叔母と結婚するのを禁じているのです。
全くの血縁関係は無く、姻戚関係も消えているのにです。
ところが、婿養子では、それが許されています。
であるならば、嫁として入籍した女性が、
夫の相続権と同じ権利を有しても良いはずです。
ところが、ないんですねえ、これが。
フェミニズムは、何故これに反論しないのか?
フェミ論者の方々に、これに正面切って反論している意見はきいたことありません。
逆に、海外からは、この制度は合法的人身売買とのイチャモンとかついてくるわけです。
確か、アムネスティは指摘していたと思います。
アムネスティーの是非はともかく、
彼らのツッコミは、一応論理的な形は取ってますからね。
感覚的なものを、形にする危険性
ではなぜ、これらの制度が残っているかと考えると、
1番妥当な考えは、「なんかそっちのほうがいいような気がするから」
ではないでしょうか。
そうなると、一貫した論理性だとか、
感覚的には反対だけれども、一貫性によって認めざるをえない、とか、
なくなってしまうわけです。
その代表例が死刑制度ではないでしょうか。
基本的人権は、実は制限がついている、ということを明記すればよいだけなのです。
生存権を保証しながら、死刑制度があるってことが問題なのでしょう。
この矛盾は、日本のあらゆる所に、ひそんでいるような気がします。
まとめ
であるならば、自衛隊を撤廃させるかという話になります。
それが無理であるとするならば、
あの集団を法で認めれば良いわけです。
憲法修正によって、軍隊を所持すると明記すれば良いのです。
それができないなら、自衛隊は即解散ですよ。
なにしろ、憲法という、もうその上がない法に反していることになるわけですからね。
でもどちらもしない。
そのうち、この矛盾そのものを忘れてしまう、
と言う結果が待っているのではないでしょうか。
その一つが、この婿養子制度に、
あまり誰も疑問を持たない、ってことのような気がします。
最後に
ことの是非、つまり、婿養子制度を批判はしていないつもりです。
ただ、行政の都合によって作られた制度にしか過ぎない、この制度によって、
多くの人々が、悩ましい決断をしなければいけないのも事実でしょう。
どういう、現実的選択をするとしても、それは個人の自由です。
ただ、その理由を時には考えてみませんか?
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