思考の冒険の真っ只中にいる「青さん」。
さっそく仕上げの原稿が届きました。
さすがです。
chuff.hatenablog.com
彼の思考は、一つの作法として完成に向かいます。
言うなれば、「道」の成立です。
「道」とは、本来未分化な情熱だけであったものを、
「形」として再現可能にする日本独特の思考形態です。
でも、ここは大人の部屋です。
お子様はご遠慮を。
どうしても、という方のみ、
どうぞ奥へお入り下さい。
ではさっそく、作法の世界へ。
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最初はただ立ち尽くして、
雨を浴びていただけです。
それはそれでいいんですが、
そろそろご理解いただけたように、
理屈っぽい私です。
ここにも意味が欲しくなりました。
ただ立って雨にうたれているのは、
雨に濡れているだけの人です。
折り畳み傘を持ち歩く人間としては、
それはあまりに不本意。
私は夜に、雨に、
溶けてしまおうと企んでいるのです。
「夜の雨」そのものになってしまいたいわけです。
雨にうたれている非日常感を楽しんで…いること、
に関しては、また別の議論が必要ですが、
発展の経緯としては、「立っている」
という力みは排除してしまいたい。
なので、座りました。
あぐらをかいて、雨を受ける。
これはこれでいい。
何がいいって、
尻やモモの周りを雨が流れている感覚が、
「溶け感」を助長します。
雨が落ち、流れに変わり、
それに溶け出している私。
だったら、もっと接地面積を大きくしたらどうだろう。
雪だるまが陽光の下、
形を失い徐々に崩れて水になり流れていく姿を思い出し、
私は倣うことにしました。
路傍の石のように。
というと、ちょっと気取っていますから、
高速道路に落ちている軍手のように。
そこに「ただある」ものになろう。
要するに寝転んだのですが、
仰向けに大の字、というのは何か違う。
両手を広げる仰向けは、
そうしようという意思がある。
そうなると、雨の中で寝転んでいたい人止まりです。
私の考えとしては、
形を失いつつある過程、
としての寝姿勢であるべきなんです。
ということは、寝姿勢を取ったその形のまま、
脱力することが望ましい、となります。
両手は横、足は軽く開いている。
これです。
その形になると、
雨が体に当たるチクチクした感じが気になっても、
徐々に慣れてきます。
慣れてくるのは、
前に説明した「音が気にならなくなる」あたりです。
後はもう時の過ぎゆくままに、
ということだったんですが、
この姿勢には一つだけ問題がありました。
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なんなんでしょう、問題って。
ここまできてしまったら、
今更問題に出会うこと自体、
難しいような気もしますけど。
仮に問題がるとすれば、
まあ、やっていることそのもの以外にないような。。
こういうことを軽く煙に巻くには、
日本語でとても便利な言葉があるんです。
私も最近とある方から言われて、大いに納得いたしました。
その言葉とは。。
「大人の戯れでございます」
戯れ。。。
いい言葉ですねえ。
それも嗜むのも、これまた大人であればこそ。
(遊びと言う概念は、人類を進化せた原動力でもあるのだ!さあ、戯れでクリック!)
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