みなさーん、自粛してますかー?
まあ、ワタイもご多分にもれず
ボディブロー入れられっぱなしです。
でね、最近青さんづいてるでしょ?
でね、構図がどうのとかワタイは言ってるわけです。
そしたら知り合いがね、
「お前、自分のも見せないで何いってんだ?」
とか、まあコロナフラストレーションの
クッションボールが飛んできたのです。
まあ、ワタイも大人なんで
それをスウェイバックで交わしながら
「あー💢?」
とか言ったわけです。
コロナの敵は、自分自身でありますな。。
ということで、ちょっと写真フォルダーから抜粋をば。
構図というものは、意味から離れて
点と線で見る世界ですね。
これは、デッサンでもそうです。
模写してると、デッサンは取れないわけです。
でも、不思議とデッサンが正しく取れると
結果的には意味性が出てくるんですね。
では見ていきましょう。
ジュリアを買う前のこと、
ワタイはいろいろその世界をお勉強しておりました。
大阪のとあるブローカーと通じて、見せていただいた
アルファロメオ1750GTV。
納屋の中で眠る緑のジュリア。。
この時、ワタイはその爺さんが
伝説のメカだったこと知らなかったんすね。
不勉強は罪ザンス。。
で、これの一枚前の写真がこれ。
わかるザンス?
写真は無加工で、サイズだけ落としてるザンス。
二枚並べてみるザンスな。
明らかに、左のほうが締まってるザンスな。
これはアングルではなく、
陰影と線の構図によるわけザンス。
で、なんとなくつかめた感じあるザンス?
カメラの場合、どこに焦点を当てるかで
実はいろいろ変わってくるザンスな。
まず一枚目。
ちょっと爽やかというか、シャレオツぽいベッド。
初夏か春。
これを、ぐっと引いて構図を変えたのがこちら。
なんか淫靡!
とか、感じません?
これも、どう構図をとったかザンスな。
横撮りか縦撮りかでも違うザンスな。
同じ日に、数分差で撮った三枚。
理論的な部分は、アフィはってる芸術新潮の
1999年のもので読んでください。
今は、構図の違いで全然印象が変わってしまうことを
ご理解いただけたら良いと思います。
構図を考える際、凝ったことは必要ないわけです。
なので、例は汎用てきなもので。
だれもが見ているはずのお月さま。
これなんか、どう撮っても知らないもんじゃない。
こうなると、何を撮ったかではなく
空間をどう捉えたか、になるわけですね。
もう一枚いっときましょう。
なんか、天に登る何かみたいじゃありませんか!
実はこれも構図ですね。
結果的にそう見える。
龍ぽく撮ろうとか思ってると、
「その時」は過ぎてしまうわけです。
これに至っては、ピントさえあっていないわけです。
でも、写真として成立するわけで。
当ブログ、チャフのPCのトップ画の元はこれです。
今年の春のちょっと不穏なサクラ。
意味など、あとから付いてくるのです!
空は広いと誰が言った?
それでも、地球は青いのです。
なんとなくご理解いただけました?
お前、なんも説明してないだろう!とおっしゃる?
ハハハ、全くもってそのとおり!
すぐわかろうなんて、甘いのです!
(なに、この嫌な感じ。そう、これがコロナ鬱なのかもしれません。怨嗟でクリック!)