若さってやつは、こんな疑問を哲学する
いつも楽しませてくれる「青さん」。
その若き日の文章を、
無修正でお送りする企画でございます。
大人の部屋とは言いませんが、
子供の部屋ではございませんね。
そこは自主判断で。
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どうも。合理の中の非合理。
えー、お下劣です。
好まれない方はご遠慮くださいませ。
さて、本題であります。
いつかこの問題については、語らざるを得ないと思っておりました。
本日、ちょうど先ほど危機に遭遇し、
それを脱した事を好機と捉え、
今ここで語りたいと思います。
男性諸君には、同意いただける問題であると思うのでありますが、
ナニの生理機能についての問題であります。
女性は専門化された器官、
つまり、尿道口、膣、肛門を装備しておりますが、
男性の場合、固体排泄は別ですが、
液体排泄と生殖を一穴によって行うのであります。
この併用式の場合、
合流路の使用は機能的に切り替えられる必要があるのでありますが、
男性の場合、血液の流入による形状変化により、
排泄器官と生殖器官が切り替わるわけですな。
ぶら下がっている時は排泄器官であり、
屹立している時は生殖器官であるわけです。
通常、ぶら下がっている時に精液の放出はできませんし、
屹立している時はその逆であります。
このことを踏まえた上でのお話なのでありますが、
尿意をこらえる際、男性器が自然に屹立する事があります。
恐らく、屹立による膀胱からの回路遮断を反射的に行っているのでありましょうが、
洋式トイレにおいての尿排泄の際、
これが実に問題なのであります。
短長細太を問わず、
屹立によっていわば筒先が上を向くわけであります。
洋式トイレの場合、立ったままはもとより、
座っても残念な事になるわけですな。
まして、むりくり筒先を下げても、
回路が巧い事開かないため「出」が悪く、
仮に出始めても、まずい事になることが多いのであります。
物好きな女性のために例えますと、
ホースを想像していただきたい。
水が出ているホースの先を、
潰すようにすると水はどうなりますか。
そう。勢いがついてしまうんです。
それと同じような現象が、洋式トイレで間々起きるのであります。
尿意による屹立の問題は、
性的興奮による屹立ではないため、
精神的なコントロールによる軟化が極めて困難であるという点でありましょう。
尿意があるから屹立しているわけで、
尿意が解決されなければ硬化したまま、
硬化したままであるから尿意の解決が困難、
硬化が解決されないという、スパイラルへ突入であります。
先ほど私が見舞われた危機というのもまさにそれ、久々に汗をかきましたよ。
いや、あせったからというか、まぁ、なんと申しましょうか。
筒先を無理やり下げると、コントロールが困難なわけですよ。
でも、照準を合わせる必要はあるわけですな。
つまり、逆転の発想です。
筒が動かせないのなら、自分が動けばいいんです。
トイレの壁に腕を伸ばし、しっかりと体重を支え、ゆっくりと斜め腕立てであります。
「っく」と妙な吐息を漏らしつつ、ゆっくりと、
しかし着実に尿意を解決していきますと、屹立が解除されていきます。
それにあわせ、筒をコントロールしつつ態勢を整え、
ようやく放尿が終わったわけでありまして、惨事を回避したわけであります。
生体機能というものは、大変合理的にできておりまして、
日常生活においては意識しない部分においても、重要な役割を果たしております。
しかしながら、合理的であるが故の非合理性というものもまた、
確実に存在するわけでありまして、
合理的であることが万能であるという事にはならないという事実は、
私がトイレで体験した事例を基にしても明白なわけであります。
間抜けな話をしているようで、
実に哲学っぽい感じにまとめることができたのではないか、
と自画自賛しつつ、この辺で終わりにします。了
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やがて、蛇口としてのみ機能しなくなり、
最後はきっと、蛇口でさえ亡くなるであろう機能。
弾がたくさんあるときは無駄撃ちをし、
弾が減ってくると照準が合わなくなってるという、
やがて悲しき物語の、蒼い日の1ページ。
いやあ、いいですねえ。
しみじみ。
(若さってなんだ!知るかよ、そんなこと!そう、それでいいんだ!全肯定でクリックしてみないか!)