井上陽水が逮捕されたのが、1977年。
マリファナだったかな。
判決は二年の執行猶予。
執行猶予があけてすぐに、陽水は武道館でコンサートを行った。
それをドキュメント番組にして、放送してたわけだ。
演奏と対談形式の交互構成、いわゆる「テレコ」で組んでいた。
今から考えると、逮捕を含め、
全部仕込みでも不思議じゃないなあ。
ありえるよね。
陽水の自作自演の可能性さえあるように思うな。
その対談相手が、小沢昭一。
今は、もう知名度はないけれど、当時はいわゆる「文化人」枠の人だった。
そのテレビを観ていたのが、少年の私。
この時話題にされていたことが、
現実に起きようとしている。
仮想通貨によって。
前提として言っておきますが、ヒモ付はしてないですよ。
ここで書かれていることは、
番組や動画を、
観た分だけを決済するシステムは、
技術的に可能であるということ。
仮想通貨の概念は、多分このサイトが分かりやすい。
これもヒモつけてないですよ。
ここから先は、私の記憶によるものなので、
詳細は自信ないけれど、まあ大筋では間違ってないと思います。
先の対談で小沢昭一はこう言った。
「どうも、僕らの商売はちょっと申し訳ない、後ろめたい感じがする。オモシロイと思った人が、その分をギャラとして払ってくれたら、スッキリすると思う。お代は見てのお帰り、みたいにさ」
これに対して、井上陽水は
「視聴者を信用してます?観て面白かった。でも金払うのは嫌だな、って払わないほうがほとんどじゃないですかね」
双方の言ってることは、感覚的に何となく分かる。
多分、相容れないけれど、まあ分からなくもない。
観た分だけ払う、ってのが、仮想通貨で可能になったら、
観たい人だけが払って、そうでない人はさっさと止める、
ってのが可能になる。
まあ、妥当な気もするけど、本当にうまくいくんだろうか。
そこでどうなるのか考えてみた。
「観た分だけ払う」ってなら、一種のチキンゲームになるよね。
いつ止めるか、いつ止めるか。
となってしまうと思う。
観れば観るほど、お金がかかるとも言えるわけだしね。
そうすれば、多分最初の数分が勝負となって、
あとはダラダラする番組が増えそうな気がする。
毎秒ごとに課金されてるなら、
夢中で観ていられる人は減るんじゃなかろうか。
逆に、ギャンブル的にはまるのかもしれない。
もうちょっと観てたら、面白いことあるのかもしれない、って。
でも、ある一定時間を超えたら、気にしなくなるとかのデータもあるんだろうな。
ダラダラとぼんやり観ながら、課金されてゆく世界ができるような気がする。
しかも、スマホで観るとすれば、最後は使用量として現金で支払うこともあるだろう。
仮想通貨を持っている人は、その送信で通信料を使うことにもなるわけですしね。
仮想通貨と現金の変換レートは、どう設定されるのだろう。
観たときのレートなのだろうか。
それとも、決済日のレートなんだろうか。
きっと、そういうことを頓着しないルーズな人々はたくさんいて、
誰かが儲けるシステムになってゆくんだろうな。
もしくは、レートを見ながら、番組を見るとか。
それはないか。。
こんなの見てたら、おちおち楽しめないよね。
どうなるんだろうね。
個人的にはワクワクするけれど、
相場ってのは、常に博打でもありますからね。
あっ、こういうのに手を出すのは、
お金が余ってるか、猛烈な勉強家以外は、止めたほうがいいですよ。
マジで、ゲームですけど、支払い有りますからね。
(まあ、実は現実世界も全て博打ってのが資本主義なんだろうけど。そう思ってクリック!)

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