ここは大人の部屋です。
これは警告です。
繰り返し言っておきます。
ここは大人の部屋です。
清廉潔白な人生を良しとする人、
物事を決めつける人、考えない人、
そのへんのガキ、もしくはガキのような人、
ここで引き返して下さい。
わざわざ、嫌な思いすることはないのです。
ここから先に進む方は、あとで文句言わないでくださいね。
言われたところで、気にしませんけどね。
さて、今回は「イカせたい」と思う男性の話です。
いったいなんでそういう流れになるのでしょう。
これを考えてみます。
便宜上ヘテロの組み合わせで書きますが、
ネコとタチでもいっしょでしょうね。
タチの方の心理ってことです。
男性であれば今一度
自己を振り返るチャンス。
女性の方であれば、
こういうとこ押さえておくと、
なにかとちょろいのではないかと思いますよ!
イッたフリは珍しいのか?
私の知る限り、男性はみな
「イカせたがる」と思って
間違いないんじゃないんでしょうか。
ここで肝心なのは、
「イキたがる」よりも強い、
「イカせたがる」という心の動きです。
ここで「イッたフリをした女性、ブクマつけて下さい!」
と言っても、
まあ、つけてはもらえないですよね。
当たり前です!
男性からすると、分からないからこそ、
その確証が欲しいってものだと思います。
けっこう、泣けてくるじゃないですか。
あまりの真摯さというか、間抜けさというか。。
ところでこの映画ご覧になったことあります?
この中で、メグ・ライアンが、
「なんだったら、イクふりしてやろうか?」と言って、
演技する名シーンがあるんですが、
まあ、これがなんともステキ!
1分40秒あたりからの、
メグ・ライアンの演技が最高です。
英語なんかわかんなくたっていいんです。
イクふりができるかどうか、
見抜けるかどうか議論してるんです。
終わってから、普通の顔で
食事に戻るところなんて、とんでもなく可愛いです。
この映画に関する面白い記事のリンクも張っておきます。
最後のおばさんのセリフの解説が笑えます。
映画をつなげて観るブログ : 誰の前でアノ演技?『恋人たちの予感』
さて、ここからが今回の目玉。
次にこの記事。
ヨーロッパの統計らしいですけど、
まあ問題ないでしょう。
バレたあとも演技を続けたのか?という質問に女性の60%、男性の27%が’YES’と答えました。
なかなか面白いリサーチですね。
私の見聞した限りでは、決して珍しいことではなく、
一般的にありふれた行為ということになります。
そこのあなた!
男女ともに
思い当たるフシは
ないでしょうか?
なぜ、フリをしてしまうのか?
次の疑問はこれでしょう。
結果があるときは、常に「需要」があるからです。
つまり、男性がそれを望んでいるからですね。
その期待がある以上、それを満たしたい。
もしくは満たさねばならない、となるからです。
需要がない時。
それは男性が女性の、
イクなんてことに興味がない状態です。
そうなると、オナホとおなじになります。
それはそれで、悲劇的な話でもありますね。
しかし、その「需要」
つまり「イカせたい」欲求は
どこからくるのでしょう?
そもそも、イクとはなんなのか?
需要の前に、このことに言及しないといけませんね。
エクスタシー、
もしくはオーガズムというものを、
明確に考えておかないと、
その「需要」について語れません。
「貨幣」の定義なしに「経済」を語れないのと同じです。
しかし、「貨幣」の定義なしに、「商売」は可能です。
この場合で言うと、
「イク」の定義なしに「イカせたい心理」は語れませんが、
そんな事考えなくても、セックスはできるということです。
ええ、犬もきっとそうですよね。
いいんですか?犬と一緒で。
そんなことありませんよね?
ですので考えてみましょう。
「イク」側、今回で言うと女性ですが、
これは身体的には定義が難しい。
神経刺激と脳の処理の問題の絡みがありますからね。
ですので、心理的なこととして捉えることにします。
「快楽によって抑制が解き放たれる、
『忘我』状態にあること」
と言えるのではないでしょうか。
ここでポイントは、
「興奮」によってではないということです。
「興奮」と「快楽」の違いについては、ここでも書きました。
興奮、快楽、パニック、そして忘我
「興奮」が脳に心地よいとなれば「快楽」となります。
「興奮」が「不快」となれば、「パニック」となります。
善悪としてではなく、事象としてですね。
「快楽」であろうと、「パニック」であろうと、
ともに、「忘我」の体験であります。
「事象」というのも難しい概念ですが、
「ただそうあること」と
客観的に観察しうること、
とお考え下さい。
通常、この「忘我」は、
我々の日常には存在しません。
なぜならば一応マトモな頭でないと、
生きてはいけないのが社会なのです。
ですから、気軽に失禁はしません。
気軽には叫びもしません。
時と場合を考えているのです。
しかし、極日常の中に、
短い時間とは言え「忘我」は存在します。
多分、誰もが経験しているはずです。
忘我を与えるのは、神様的な絶対的存在
初詣、お祭り、冠婚葬祭、
常に人は何かに祈ったりするわけですが、
よく考えたら、
あれは頭のオカシイ行動だと思いませんか?
「おばあちゃんの病気が良くなりますように」
と、小さな子どもが祠で祈っていると、
微笑ましいような、
涙ぐましいような場面です。
しかし、それが祠ではなく、
電柱相手ににやっているとしたら、
急に、気の毒な子どもになるでしょ?
しかし、祠であろうと電柱であろうと
「忘我」であると言えるでしょう。
生活の中で、理屈を超えて何かをする場合には、
この神様のような、「何か」が必要になるわけです。
これを逆説的に考えると、「忘我」を与えるのは神のような「何か」です。
イクのが「忘我」であるならば
イクことが、快楽による「忘我」である所まで来てますよね。
あともう少しですよ。がんばって下さいね。
もし、「忘我」を与える行為をなしたならば、
それは、神になるような感覚が
あるということになります。
もちろん、それは幻想です。
しかし、そんな興奮が
存在するということになります。
見えてきましたね!
そうすると、イカせたい男性は
「神」に一時的になりたい、ということになります。
「神」とはなんなのか?
「神」になりたいなら、
その「神」も定義する必要があります。
宗教上とか、日本の歴史上だとか、
で語ると際限ありませんので、
まあ、同意を得られるレベルで定義すると、
「究極の万能性に満ちた、畏怖の対象」
と言っていいでしょうね。
「畏怖」をわからない人は、こちらへ。
いやあ、こりゃ興奮しますよ。
畏怖されたとしたら、まさしく無敵ですよ。
本当に神様になってしまったら、そりゃ大変です。
人間やってられませんからね。
だから、一時的で十分なわけです。
つまり、万能感といえるでしょう。
万能性じゃなく、万能感ね。
その一時的神様状態の、動かぬ証左として、
女性にイッてもらいたい!
ってことになりますよね!
答でましたね。
いやあ、勝手な屁理屈だと重々承知の上での、論理的な結末です。
しかも、証拠が物理的にはないのですから、精神的な証がより必要となります。
そのうちの一つが、これとかになるんじゃないでしょうか。
「どうだ、こんなことされたことないだろう?」
訳「どうだ、他の男とは違って、オレって神だろ?」
「イッタんだろ?イッタね。そうだろう?初めてイッタんだね」
訳「俺は神だろ?お前の神!だろ?初めて神と出会ったね」
うう、書いててキモイですね。。
そして、重要なのは「一時的で十分」ということです。
これが済んでしまえば、
いわゆる賢者タイムなわけですね。
でも、一回神様になってしまうと、
「もう一回でいいから、神様にちょっとだけならせて!」
となるわけです。
もちろんこれは別の言葉で発語されますし、
男性もそう信じてます。
「君を愛してるから、もう一度愛し合いたい!」
とかね。
まあ、勝手な話ですわ。
ああ、こうやって、不幸のネタ、
つまりは「勘違い」が生まれてゆくのですね。
言い訳ぽいですけど、
本気でそう思っている人もいますよ。
少なからず。
でもここでは多数派を扱いますね。
「勘違い」にならず、満足してる人も、もちろんいるでしょうけどね。
まとめ
イカせたかどうかって、
どっちでもいいじゃないですかね。
気持ちいいかどうかでしょう、大切なのは。
気持ちいい、ってのは「気分がいい」とは違うことです。
「気分がいい」だけ、ってのは、
エネルギーを浪費することです。
これに対して「気持ちがいい」ってのは、エネルギーの補完でもあります。
楽しいことしましょうよ。
気持ちよいことしたら、それに勝るものないですよ、きっと。
それがきっと、チャフだよ。
チャフってなによ?
これです。
(結局、そこに落とすんかい!まあ、いいじゃないの。そう言わずに、そこでクリック!)
女性編はこちら。
男が知りたい女の「気持ち」―永遠のナゾに女医が答える (ブルーバックス)
- 作者: 田村秀子
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2010/10/21
- メディア: 新書
- 購入: 2人 クリック: 26回
- この商品を含むブログ (5件) を見る