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セックスレスって、そんなに悪いと思う?

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なんかここんとこずっと

レスって、マナー違反みたいな扱いザンショ?

 

でね、そんな悪い事かとワタイは思うわけです。

もちろんね、したいけど物理的にできないとか

まあいろいろあるんでしょうよ。

心理的にしたくないとか。

 

で、今回大真面目にセックスを

語ってみようではありませんか!

まあ、この手のことは下手すると

運営から規制が入る可能性あるんですけどね。

真面目にやっていきますよ。

 

 

 

レスの何が問題なのか?

まあ、これはいろいろ取り上げられておるザンスが、実際そんな問題ザンスか?

ムードがどうのとか、愛されていないとか、実にきれいな話になること多いザンスが、突き詰めて考察しているのを、見たことないでガス。

 

問題が発生するとすれば、パートナーの欲求を満たしていない、ということなわけザンスね。では、なぜ満たしていないのかというと、ワタイは単純に性欲のことを言ってるとは思わないザンスね。

セックスというものは価値のおかれている行為、ではあるザンス。しかしそれは「性行為」そのものに価値を示しているかというと、そうでもない気がするザンス。

その行為に示された意味合いの方が、はるかに重要ではなかろうかと推測するザンス。

単純に考えてみましょう。

古い言い方ザンスが「一線を越える」というのがあるザンスね?

ではその「一線」に価値があるわけザンスから、象徴的行為ザンスよね?

 

だとすれば、その「一線」とはなんザンス?

本番ザンスか?

じゃあ、フェラはOK?

 

なわけないザンスよね?

 

じゃあ、キスは?

微妙でしょうが、これも性行為でしょうなあ。。

時と場合によっては、セックス本番よりも意味深くなったりするザンスよね?

そもそも、キスに意味が出てきたのは明治以降のようザンス。

秀吉から淀君への手紙に「口吸い」という記述があるザンスが、当時「マジ太閤様変態ザンスねえ」と言われたようザンスし。。

浮世絵でもそうザンス。北斎以外はあまりオッパイに興味ないようザンスので、少なくとも江戸の街では「オッパイ」に対して、象徴的意味はなかったようザンス。

 

じゃあ、レスというのは、現代においてはなんの「レス」ザンスかねえ?

その象徴的な何かが欠けたこと、と言える気がするザンスよね?

では、その象徴的なものとは何か?

これを論じる必要性を感じないザンスかね?

やればよいってものでもないと思うザンスよ。

 

衝撃の芸術 肉筆春画 (双葉社スーパームック)

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私の経験上から見る日本のセックス

セックスレスとは、日本性科学会によれば、「病気など特別な事情がないのに、1ヶ月以上性交渉がないカップル」と定義されている。しかし、便宜上「カップルのうち、どちらかがセックスをしたいと望んでいるのに、長期間それができない状態」を総じて「セックスレス」と呼ぶのが一般的な解釈である。

 

ウィキによると、こういうもんだそうです。

でそこで考えたわけザンスよ。

以下の疑問がわくザンス。

 

① 両者の合意によって成立していない場合、それに対して応じる必要性があるのか?

② それが身体的に気持ちよいと言うものなら、やるんじゃなかろうか?

③ 日本におけるセックスは、世界的にみてどうなのか?

 

ここから先は、ちょっとしたワタイ個人の見聞に頼るので、偏りがあるかもしれないザンスね。しかしながら、多くの方々にご賛同いただけると信じて進むザンスよ。

 

ワタイが見聞した限りにおいて、どうも日本のセックスは精神性が高すぎる気がするザンスね。快楽というものに対して、様々な意味性が高すぎる気がするザンス。

 

例えばザンスが、「穢れ」の発想。

これ、男女関係無いように思うザンスね。双方にあると思うザンス。

「穢したい」もしくは「穢した優越感」とかね。

 

その一方で、こういうのも精神性ザンスよね。

「これで一つになれた」「愛されている」「落ち着く」

とかね。

 

これらは、身体的快楽を純粋に求めるものというよりは、身体的セックスに付随する精神状況なわけザンスね。やったあと、しらけるってのも実は同じことじゃないかともうザンス。そこにその精神的状況が起こらないからこそ、しらけるのでありんすね。

その証拠に、すべての場面でしらけるとは限らないだろうと言う、妥当な推論も可能ザンスね。

その象徴的世界が持続できるのであれば、性行為が終わったとて賢者になるとは限らないわけザンスよ。

 

よって、三個の上記の疑問への回答は以下になるザンス。

 

① やって納得するというのなら、相手はどうでもいいことになるザンスから、べつに相手してやらんでいい!

② そんなに気持ちいいなら、自由にやれ!そうでないなら無理するな!

③ 続きで述べます! 

 

 

私の経験上からの欧米のセックス

中近東やアフリカはよく知らないんですけど、それらは多分欧米と一緒な気がするザンスね。大陸はまず同じ考え方が根底にあると、考えてよいザンス。

もちろん各地各地で違うと思うザンスし、性的少数派ってのもあまり知らないんで、一概にはできないこと承知ザンスけどね。

でもまあ、世界中とあまり人生で深くかかわることもないと思うザンスので、ここでは省略するザンスよ。

 

ワタイの知る限りザンスが、大陸系の彼らのセックスについては、実に単純な原理が働いていると思うザンスね。そりゃ精神性とかもあるかもしれんザンスが、あってもすんごく少ないようザンス。

じゃあ、何かって言うとザンスが。。

 

単純に気持ちのいい、

スポーツの延長線上にあるもの。

 

分かっていただけるザンス?

これねえ、ホント分かりづらいザンスよ。

われわれ日本文化の中で育ってゆくと、どうしても精神的なものと不可分なわけです。ですので、そんな単純に「気持ちよさ」を追求できるかっていうと、そうでもないザンスよ。

でもね、やつらは「変態的行為」も含めて、「気持ちいい」という身体感覚優先なのは確かですわ。

 

コンドームの装着も、日本では多くの場合避妊が目的だと思うわけザンス。

そして、いわゆる生信仰があるように思うザンスね。

中出し、外出し、とかもおなじ概念に基づくわけザンスよ。

生で中出しが、一番気持ちいいはず信仰ザンスね。

これは本当に精神論だと思うザンス。あの薄いラテックス膜で、感覚が弱ると言うより、弱るはず!という思い込みの方が大きいと思うザンス。

人間という生き物は、そんなにデリケートなわけないザンス。

 

で、欧米ザンスが。。

あいつらのコンドーム見たことあるザンスか?

もうね、なんていうかすごいザンスよ。

まったく薄くしようとする意志を感じられない、見事な厚さ!

それに比べると日本製品は、精神的世界を薄さに追求したと言えるでガンスね。

奴らの場合、避妊と言うより性病予防の方が重要ザンスし、公衆トイレの中に自販機あったりするザンスからねえ。。

女性が、大っぴらにバイブ買うのも普通ですしねえ。。

そういやあ、SATCでもそういうシーンありましたなあ。

 

 これから考えるに、彼らの思考は「身体的快楽中心」なわけです。

そこには、コンドームを薄くする理由は存在しないかのようです。

これは、なかなか潔いと言うかなんというか、なかなか日本ではお目にかかれないモノザンスね。

で、一方ではその快楽追及を、極端に制限もするわけですわ。CMもそうですし、街中に性的な看板とか認めないし、と。この両極端な世界が、今のところグローバルスタンダードと考えていいと思うザンスねえ。

 

神戸の三ノ宮駅あたり、特に山側なんてひどいもんザンスよ。実に性風俗産業花盛りですし、その中に高級フレンチがあったりと。これは外国では見たことのない風景でガンスねえ。それは、アジアの中でもめったに観れないザンスよ。。

 

ここで③の答えザンスが

 

日本のセックスのありようは、

かなり独自性高いと思うザンス!

 

人のセックスを笑うな

人のセックスを笑うな

 

 

 

セックスは必要不可欠なのか?

結論から言うと、やりたきゃやればいいザンス。

やりたくなきゃ、断固拒否すればいいザンス。

この単純さが必要だと思うンザンスね。

なんか、当たり前とか思うかもしれないザンスが、いやいやどうして。そんな簡単な話じゃないザンスよ。

精神性の話を先に書いたザンスが、受け入れないと相手の人格を拒否したとなってしまったりしないザンスか?もしくは、極度の不機嫌さと対峙しなきゃならなくなったり。

でも考えてみたら、これおかしな話ザンスよ。

そこまで義務なことは当然ないわけザンスからね。

 

では、なぜそうなれないのかというとザンスが、実に様々なものが絡んでくるザンスよね。しかし、それは本当に複雑なものなのザンショか?

セックスがなんらかの「存在証明」になるというのは、実はかなり古くからの考え方でありんすね。宗教的と言ってもいいザンス。もしかしたら、日本社会における宗教の最後の砦かもしれんザンス。

 

デカルト哲学 (講談社学術文庫)

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これも考えてみたら、お墓参りと一緒で、お盆に行ったから彼岸はまあいいかあ、でもいいのでござんすね。

それで怒るご先祖様は、実に度量が狭いと言うか。。

 

行きたければ行けばよいザンスし、忙しかったりしんどかったら止めりゃいいと思うザンスよ。それがレスと言うものではないザンスかねえ。。

それが極度に問題となる社会は、実は問題ではないかと思うザンスね。人間単純化すると、二分論になるわけザンス。

快楽が、義務を携帯するの出れば、それは気持ちよくわないわけザンス。

しかし、そもそもその義務という考え方も、どっから来たもんザンスかねえ。。

 

清貧の思想 (文春文庫)

清貧の思想 (文春文庫)

 

 

 

日本のセックスの特殊性

セックスに限らず、日本はちょっと極端に走るのが得意な点はあるザンスね。

これは意外かもしれんザンスが、事実ザンスね。

精神性の物理的な造形として、大仏とか戦艦大和だとか、そういうのを例にあげれ場分かりやすいザンスね。決して必要性から作っているというよりは、その必要性を問うこと自体が苦手なわけザンスよ。

 

朝からセックスレスのことを取り上げる特集をテレビが流したり、まるで国家や体制が介入するかの如くするのも、やりゃあいい!って言う発想が根源にあるからだと推論するザンスねえ。。

 

以下のサイトによると、面白い統計があるザンス。

 

honkawa2.sakura.ne.jp

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経済破たんしたギリシャが回数ではトップで、その後東欧が続くザンスね。アジアが満足度回数ともに低いようで、低いのに不満も多い。

これは一体なんザンスかねえ?

飽きているわけではないようザンスよね。

 

こうなってくると、日本の問題はセックスレスではないと考えるほうが妥当ザンスね。楽しいということを、実はよくわからんのだけれど、楽しいはずで、そうではない自分たちは不満だけど、改善もしたくないという不思議な状態。

まあ、これが日本の特殊性と言えなくもないザンスかね。

 

「空気」の研究 (文春文庫)

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まとめ

性欲は本能的なものである、とか書かれている本はたくさんあるザンス。しかし、ワタイはそれをかなり疑っているザンスね。

確かに、生物として本能的な部分があるはずザンスが、快楽的な楽しみとしてセックスを人類が意識した以上、そんな純粋に本能で説明できるものではないはずザンス。

さまざまに形を変え、一方は身体的な快楽として、もう一方では何らかの精神的快楽として発展した背景があるザンスね。

その結果、セックスレスと言う形ですべてを失うわけでもないわけザンスよ。

この場合は、具体的な性行為しか見ていないと思うンザンスね。

我々の人生は楽しいほうがいいのは、恣意的に理解できるザンス。しかし、その「楽しい」というのは、受け身で獲得できるものではないようザンス。

受け身でいる限り、不満は常に存在するわけザンスね。そしてそれを受け身で解決するとなると、「やればいい」になるわけザンスね。

昨今LGBTとか、いろいろ言うザンスけど、ワタイはどうでもいいザンス。

その人の性的嗜好を配慮する必要はないと思うザンス。各自、鋭意その性的嗜好を主体的に楽しんでくれれば、ワタイはそれでいいと思うザンス。

 

決して、つまらぬ義務に付き合う必要もないザンス。

人間とは、唯一人生を選択できる生き物です。

気高くまいりましょう!

 

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