CHUFF!! チャフで行こうよ。

もう、何でもありです。ヒマつぶしにどうぞ。

CHUFF!!ってのは、「おっ、なんかいいよね!」って意味です。チャフっていきましょうよ!

専門書とはなにか?専門家でもまず分からない本です。

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誰でもわかる専門書はありません。

「~入門」「初めての~」

「基礎からの~」

「~の基礎知識」

 

などなど。

 

本屋に行けば、腐るほどあるでしょ?

自己啓発系の本は、もう論外なので

ここでは取り扱いません。

 

分野は何でもいいんです。

専門書と言うものについて

ちょっと真面目に書いてみます。

今日のは長いと思いますよ。

 

 

こう言う文章を書いてみようと思ったのは

実に悲劇が多いからですね。

そもそも、難解な話を百ページ、

もしくは、2時間で読めるような本に

まとめられないことに、多くの人は

気づいていません。

それを書いている人は、まあ良く言って

詐欺師まがいか、悪く言うとおバカさんです。

たいてい悪意はありません。

自分でも正しいことを

言っていると信じているものです。

その肩書、もしくはあふれる自信。

それに感応する、勉強したことない人。

この組み合わせは、はっきり言って搾取だと思います。

でね、「搾取」ってことばだけでも

もともとどういう意味かと知っている人

たくさんいないと思います。

「統計的に観て」とか言う場合もそうです。

「統計」とは何なのか知らないと

「統計的に」とか言われると信じちゃうわけです。

その多くは、ただの「集計」であって、

統計とは呼び難いわけです。

 

 

統計学入門 (基礎統計学?)

統計学入門 (基礎統計学?)

 

 

などと、小難しい感じで進みますが、

ついてこれない人は「搾取」され続けてください。

そりゃあ、自己啓発とか言う

活字系覚せい剤が売れるはずです。

ではいってみましょう。

 

 

「入門」とはどういう意味か?

もじどおり、その門をくぐると言う意味ですね。

でね、「入門」というのは、その思考や概念

もしくは技法に至る、基礎中の基礎の話です。

 

仮に誰かのお家に行ったっとき、

チャイムを鳴らすぐらいのこと。

これをしないと始まらない、っていう意味です。

ってことはですよ、ここから厳しい坂が始まるわけですね。

なので、ある意味では入試のようなものです。

なので、そこに本質が書かれているわけがないんですね。

広く世間に問うているのではなく、

志願者をふるいにかけるのが

「入門」系の本となります。

 

 

精神分析入門(上) (新潮文庫)

精神分析入門(上) (新潮文庫)

 

 

このあたりで、絶望感に襲われれなければ

あなたの知性はその先に進めません。

別の世界に行った方がよいのです。

なにも、知性が人生のすべてではないのですから。

しかし、そこで「面白い!」と思った人も

先にはいかないようにすべきでしょう。

雑学として読むものでありまして、

これもまた先に進むべきではありません。

それが「入門」であり、「入門書」で

あるわけですね。

 

カモられるな、不幸になるな

私の専門分野が心理学になるので、

そこを中心に展開しますが、

それはどのジャンルでも、きっと同じです。

 

そもそも、心理学ってなによ?

と問われて、答えでるほど

はっきりしたものでもないんです。

この時点で相当怪しいでしょ?

 

本屋に行くと、もしくはアマゾンを覗くと

山のように心理学系の本が出てきます。

最近では発達障害とか、そういう系でしょうね。

ちょっと前は多重人格障害

その前は境界例、まあいろいろです。

 

 

発達障害の子どもを伸ばす魔法の言葉かけ (健康ライブラリー)

発達障害の子どもを伸ばす魔法の言葉かけ (健康ライブラリー)

 

 

そして、それを一般の人にむけて書かれたのが

ずらっと並ぶわけです。

しかも書いているのが「その道の専門家」とかであり

大学の先生であり、最近ではNPOだったり

まあ、これも色々ですね。

でもね、そんな病気や障害でご苦労されているのに

さらに間違ったというか、

 

「ああ、そうか、そうだったんだ!」

 

とか思わされて、悲劇的な展開をすること

けっこうあるんですよ。

著者には悪意がないかもしれませんけど、

多くの場合は「マーケティング」です。

著書を増やすためであったり、

講演によばれるためであったり、

カリスマになりたいがためであったり。

一番多いので、かつ厄介なのは

正義感というか、そういうものから

著者自身も「正しい」と信じている場合です。

いずれにしろ、彼らは難しいことを書きません。

書けないか、もしくは書いても分からないと

思っておるからです。

つまり、カモとしての読者に

照準を合わせているわけです。

理解を求めるのではなく、

分かった気にさせるためですね。

 

 

マーケティングの仕事と年収のリアル

マーケティングの仕事と年収のリアル

 

 

でも、なぜわざわざそんなことを?

と思いませんか?

はっきり申しあげると、それが快楽である人が

書いているからとしか言えませんね。

 

専門書を読むのが難しい理由

専門書と言うのは、まさしく専門のことを

書いてある本と言うことになります。

この手の本に書かれていることは、

ワザと難しいわけではないんです。

難しいのには理由があるんです。

 

専門書と言うものは、凄く簡単に言えば

そこに出てくる「単語」や「言い回し」が、

我々の日常語とは異なるのです。

ですので、それが一番の問題となります。

 

例えば「自己評価」という言葉があります。

「あいつ、自己評価だけは高いんだよなー」

と、うぬぼれやさんに言ったりしません?

その感覚で「自己評価」を心理学で読むと

多くの場合間違うんですね。

「自己評価」の低い人ほど、うぬぼれるわけです。

心理学的に言うと。

 

ね、もうついてこれないでしょ?

 

「自己評価」というのは、その人の

心理的な強さのデフォルトを示す指標であり、

自己評価の高い人ほど、健康度も高いわけです。

その人は「うぬぼれる」必要もないので

うぬぼれやにはならないんですね。

ぎゃくに自己評価が低いと、

周囲にそれをまき散らして、

補完する必要があるのです。

そして、はなもちならない「うぬぼれや」に

なるわけですね。

 

やっぱりわかんないでしょ?

 

追加で言うと、まあよく知られている言葉で

「自我」と言うのも厄介です。

実はこの当たり前のように使われる「自我」は

専門的にも「定義」されていないんです。

少なくとも、心理学や精神医学では。

文学でも怪しいところです。

 

自我状態療法―理論と実践

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ところが、分かった気になってしまうわけです。

「自我」とは何か?を誰かに訊いてみたらよいと思います。

せいぜいこういう答えのはずです。

 

「私と言うもの自体で、その人の個性をつくるもの」

 

なに言ってるか分かんないでしょ?

分かるようでわからない。

「自我」「個性」「私」。

これらを理解するだけでも、

だいたい数冊の専門書が

読まれなければ分からないんですね。

 

愛するということ 新訳版

愛するということ 新訳版

 

 

ところが、分かった気になってしまうわけです。

そして、カモになってゆくんです。

理解と言うのは、実に果てしない海に出てゆくようなものです。

 

もともと理解できないと思うべし

では、理解はできないのか?

と考えると、絶望的です。

しかし、考えようによっては希望もあります。

もともとわからないモノなんですね。

学問と言うのは、もしくは学問から派生した

現場も同じだと思うんですが、

なんでそうなってるか、実は分からないんです。

ただ、分かる部分もあるわけです。

ならば、その分かる部分だけをやれば、

確率的には、「理解」に近づくわけです。

しかし、理解したと言い張りたくなるのを

我慢しましょう。

何か事件があると、大学の先生とか

専門家が新聞でコメントしますけど

あんなの信じちゃいけません。

 

分裂病のはじまり―妄想のゲシュタルト分析の試み

分裂病のはじまり―妄想のゲシュタルト分析の試み

 

 

報道の初期の段階で、言い切れることなんか

何かを語るうえでデーターとして少なすぎるんです。

しかも、それを200文字くらいで

分かったような気になるように書くわけです。

しかも責任もありません。

 

それを書ける神経が分からない。

そう思いません?

 

先端の研究の背景や、

現場の臨床的な側面では、

変化は日々起こります。

しかし、学問というものは

何百年、下手したら何千年とか

世の天才たちが積み重ねた結果であるわけです。

それをね、わかった!と言えるわけないんです。

これは専門家も同じで

 

「これはこうと考えられるけど、多分こうじゃないかなあ」

 

くらいまでのもんです。

 

日本において「家族」は英語のFAMILYの訳語として

作られたわけです。

つまり、明治以前には

「家族」と言う概念はないんです。

ということはですよ、

それをあたりまえのように

使ってはいけないんですね。

 

そしたら、家族って何よ?

とかなりません?

お答えします。

実は、少なくとも日本では

なんとなくそう思っているもの、

でしかないんですね。

 

なんか、笑えてきません?

この理解の限界に挑戦しているのが

本来の学問となりますから、

断定はできない、ってことを知らねばならないんですね。

理解に近づくことはできるでしょう。

しかし、そこには至れない。

その不安に耐えられる人だけが

挑む世界と言うことになりますね。

専門というものは。

 

理解は数年先、感動は十年先

で、そこから専門の勉強をし始めたとしましょう。

大体なんとなくイメージできるようになるまで

少なくとも数年はかかります。

これは、天才であれ秀才であれ凡才であれ

まあ、かかってしまうと思います。

天才はショートカットできるわけですが、

じつはそれを伝える言語を持ちえないわけです。

天才同士が話をすれば、また違うでしょうけど、

そいう場面は例外なので、ここでは除外します。

 

この理解に近づいた場面では、

まだまだイメージに近い状態ですから

具現化するのに四苦八苦するはずです。

当然、理解したことと目の前の出来事は

一致しない方が多いわけです。

そこで、なんらかの勉強がまた始まったり、

模索したりと言う段階に入ります。

 

そうしていると、感動的な思想や

技法、技術、思考と出会う時があります。

しかし、その感動は専門をやった人にだけ

体験できるものです。

 

感覚としては、知恵の輪が外れる瞬間とか、

ルービックキューブが6面揃った瞬間とか。

そう言う感じです。

 

そこにくるまで、最低で十年。

しかし、その感動した何かを身に着けようとすると

さらに十年の道が始まるってことです。

 

もう、分かるわけないんです!

そう思いながらやるものでしょうねえ。

 

平積みの専門書

ところが、本屋さんに行くと

平積みで、いかにも「専門書」然としたものが

たくさんあるじゃないですか?

 

最近ではアドラー系列とか

ISDとか、まあいろいろね。

中には、超有名大学の先生とかも

いろいろ書いてたりね。

 

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

 

 

ISDとかは、ほぼ占いですし、

アドラーは文献を残してないのです。

今日本でアドラーが流行ってると聞いたら

あの世でアドラー怒ると思いますよ。

 

アドラーフロイトの弟子の1人ですが、

あるとき決別し、なかなか優秀な治療者に

なったのですが、決してアドラー理論なんて

書いてないんですよ。

慕った弟子が数人はいたでしょうし、

精神分析を学べば、名前は出てくる人です。

でも、いま巷に溢れているのは

全くそれとは異なるものです。

 

それで救われるなら、それでいいんじゃないの?

 

と言う意見もあるでしょうねえ。

シャブで眠らず働くのが良いことだと、思います?

私は思いませんよ。

まあ、思う人がいるなら、それはそれです。

あなたの人生です。

 

まとめ

こう言うこと書くと、反感や反論もあるんでしょうけどね。

昔、河合隼雄という人がいました。

まあ、カリスマですわ。

彼の著作の危険性は、難解なことを

みんなが分かるように書いたことです。

これはいいことではありませんよ。

なぜかというと、分かったつもりの人を

量産しただけですからね。

その誤解は、教育現場に顕著に出ました。

校内暴力の蔓延に、彼は一役買っていたはずです。

ここ書きだすと、また長くなるので割愛しますけどね。

彼の著書は、そんなに易しくはないんです。

例えばこれなんかは見事です。

 

中空構造日本の深層 (中公文庫)

中空構造日本の深層 (中公文庫)

 

 でも、実際に売れたのは

こんなのでしょう?

 

こころの処方箋 (新潮文庫)

こころの処方箋 (新潮文庫)

 

 彼は立場として、こういうのは書くべきではなかったはずです。

しかし、彼はビジネスとして書いたわけでしょう。

そして、多くの人から何かを搾取したわけです。

なにを搾取したかと問われたら、

これまた長いお話になりますけれど。

 

ガンの治療法に関してとか

建築に関してとか、

好きな人は学べばよいのだと思うのです。

しかし、何かを分かったつもりになると言うのは

自分がおバカさんであると認められない

真のおバカさんのやることです。

 

専門家を尊敬しろとか、従えとか言いません。

質問し、意見を聞き、判断をする。

このプロセスの繰り返ししかないわけです。

しかし、判断することも最終的には

正解などありません。

 

「じゃあ、どうしろっていうのよ?」

 

そう考えたあなたは、

結論だけ欲しいわけですから、

考えることには向かないってことは

はっきり言えると思います。

 

(うわー、何一つ言ってないのに、この苦い読後感。たまにはいいじゃない?)

 

方法としての行動療法

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行動療法〈2〉

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