CHUFF!! チャフで行こうよ。

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モテたい!って、どんなたい?

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みんな言いますよね。

「モテたい」って。

 

でね、あれなんだろうと思うんです。

そもそも、「モテたい」とは何なのか?

ここですよね。

 

ここがはっきりしていないのに

「モテたい」とは言う。

不思議です。

 

お金が欲しい。

これもよく言われますけど、まだわかる。

お金というモノがありますからね。

でも「モテたい」はちょっと意味不明じゃないです?

 

 

よく考えればね、「お金が欲しい」もそうなんです。

お金があったらやりたい事って、

実はあまりオリジナリティはないんですね。

「出会いが広がる」とか、いろいろ言いますけど

そのためには教養や想像力やいろんなものがないと

相手にしてもらえないですよ。

ある人なら、お金あったら世界は広がるでしょうけど。

 

でね、モテたいになるとさらにわかんない。

モテるといいことあるんでしょうか。

そもそもモテるとはなんなのでしょうね。

 

ここで検索してみます。

「モテたい」

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モテる、ということは自明の理として

まるで「公理」のように語られておりますな。

 

このようなことを思ったのは先日、

とんでもなくかわいい若い女性を見たからなんですね。

年の頃なら20歳過ぎ。

コンビニバイトしている、外人さんでしたわ。

けっこう日本語上手で、まあなんともかわいい。

でね、仮にワタイが彼女に「モテたい」と思ったら

それは何なのか考えてみたんですわ。

 

 

こうなるとキモイオッサンの

妄想に近い気もしますが。

 

 

ここで、好意を向けられることが「モテる」と仮定します。

その「モテる」を希望形にしたのが「モテたい」です。

そして、その好意は職業上のことではなく、

個人的な好意を向けられること、とさらに仮定します。

それを「モテる」ことであると、仮の定義をした場合

そんな嬉しいことなんだろうか?

と思ったわけです。

 

 

仮定の上に仮定を重ねるのは、論理上妥当ではありません。

演繹にも帰納にもはまりません。

その上で考えてみましょう。

それがうれしい場合、私は何が嬉しいのか?

 

その場合、数ある客の中で私が「特別」な存在として

認められたこと、と言えるかもしれません。

しかし、彼女は客商売です。

それが「特別」かどうかは、

確認しようがないわけです。

確認しようとすると、

「私的な時間」を共有する必要性が出てきます。

仕事という「社会的態度」ではなく、

彼女が個人として存在する時間の中での態度。

その確認が必要となるんですね。

 

って、つまりどっかに連れ出すしかないわけですね。

客ではない「私」に対して、好意をもっているのか、

そう見ておるのかが重要になるわけです。

ここで思ったのですが。。

 

それ重要か?

 

まあ、いいでしょう。

仮に重要としましょう。

で、どうやって確認とるんでしょうなあ。

 

ここで、LINEやメアドを聞き出せることが

「モテる」の証明になるかと言えば、違います。

相手が世間ヅレしていないだけかもしれませんし、

頭が弱いのかもしれません。

もしくは、単なる技術の世界かもしれません。

となると、仮に私的時間を共有したとして

好意の確認はできないわけです。

 

となると、何をしなきゃいけないんでしょう?

もしくは、何をされないといけないんでしょう?

 

 

冷静に考えてみましょう。

向こうは20歳前後の女性です。

まあ、普通は頭の中は空っぽです。

ディズニーやUSJに行きたがるのかもしれません。

しゃれた食事やお酒にポーっとなるかもしれません。

こっちは、相手の機嫌をとるようなセリフを口にして

さりげなく、いい時計とかはめておるかもしれません。

 

で、なんとなく好意を示してくれているとして。

私はそれをどう確認するのかと言えば、

より私的な時間を共有できるかを、試す必要性がでてきます。

 

でね、よく考えたら、このとき示してくれる好意は

個人的な好意なんでしょうか?

そもそも論としてですが。

 

ここで、また仮の話ですけど。

で、一発コマしたとしてですね。

それが相手の好意、

つまり自分は特別だと思うことに

なりえるんでしょうか?

なんか違う気がするんですよねえ。。

こういうのは恣意的に理解されます。

 

恣意的ってわかります?

恣意的。

論理的説明によらず、そりゃそうだろうなあと思われることです。

 

「友達の彼女に手を出すのはまずいだろ」とかは恣意的に理解されるわけです。これを論理的に理解するのは、ちょっと難しいわけです。個人の自由ですからね。やっていいかどうかとは関係なく、マズいだろうなと思うこと、これが恣意的ですな。少なくとも哲学上ではそうなりますね。

 

 

さらに言うとですね、「モテたい」というのは複数の対象から、「モテる」をしたいわけでしょうから、事態はかなりややこしいことになります。

だって、その分複雑な証明を必要としますからね。

 

ここまで考えてきて、ふと思ったんです。

「モテる」というのは「神」みたいなものであって

あるようなないような、わけのわからないものではないかと。

しかし、実際にはリアルにあるものとして

それを求めると言う、謎の欲求ではないかと

帰納法的に思うわけです。

 

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ですので、いったん単純化してみましょう。

 

いい気分になりたい、

ってことが

「モテたい」なのではないか?

 

この仮定なら、演繹法も使えます。

この発想に基づき、私はコンビニに向かいました。

タバコとコーヒーを買い、彼女は微笑んでくれました。

 

ああ、いい気分だ!

 

なるほど、彼女がモテているということか!

彼女がどう思っているかは関係ないのだ!

 

ってことは、モテると言うのは当の本人ではなく、

周囲からそう見えると言う、現象を言うのではなかろうか。

そして「モテたい」というのは、その立場に身を置き、

周囲にそう思われたい欲求なのではあるまいか!

 

なんか、切ない結論が推察されるわけですが。。

まあ、それもいっか。

彼女はとても可愛いのだし。

空は晴れておるのだし。

 

(実際困りますよね。20歳の小娘に好かれたらね。。疲れると思いますでクリック!)

 

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