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年の瀬に、芭蕉を考える。

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芭蕉野ざらし紀行

読まれたことあるザンスか?

その一節に、いまだ批判される

箇所があるザンス。

 

富士川のほとりを行に、

三つ計なる捨子の、

哀気に泣有。

 

この川の早瀬にかけて、

うき世の波をしのぐにたへず、

露計の命待間と捨て置けむ。

小萩がもとの秋の風、

今宵や散るらん、

明日や萎れんと、

袂より喰物投げて通るに、

 

猿を聞人捨 子に秋の風いかに

 

 

芭蕉が時に批判される句。

今回、これを考えてみましょう。

ちょっとハードに頭使いましょう。

 

 

 

芭蕉紀行文集―付嵯峨日記 (岩波文庫 黄 206-1)

芭蕉紀行文集―付嵯峨日記 (岩波文庫 黄 206-1)

 

 

 

まず捨子について


野ざらし紀行」の序文に、

芭蕉の友人の

山口素堂はこう書いている。

 

富士川の捨子は惻隠(あわれみ)の心を見えける。かかるはやき瀬を枕としてすて置けん、さすがに流よとはおもはざらまし。

 

見にかふる物ぞなかりき

みどり子は

やらむかたなく

かなしけれども

 

 

金葉和歌集

 

大路に子を捨てて侍りける

押し含みに、書き付けて侍りける

身にまさる物なかりけり緑児は、

やらんかたなくかなしけれども

 

 

を引用し、

「むかしの人のすて心までおもひよせてあはれならずや」

とある。

 

つまり、捨て子は普通のことだったのだ。

それが辛かろうと、なかろうと。

こう理解する前提があります。

コンビニで、ジュース買えるくらいに

実は普通のことであったわけで。

いや、そんなことない!

とか思っちゃあダメです。

それは現代の感覚なのです。

 


「猿を聞人」について


読みは「さるをきくひと」。

時に、「猿を聴人」とも書く。

 

ここでの「猿」とは、

今も使われる「断腸の思い」の

語源でもあるわけです。

 

以下説明を。

漢籍(つまり古典)故事で、

人間に我が子をさらわれた母猿が

深く悲しむ。

母猿の死後、その腹を

割いてみると腸が

千切れ千切れになっていた

というのがあるザンス。

 

これが「断腸」の元ネタなわけです。

今でも、憤死した人は

腸がねじれて

腸ねん転起こしている場合も

あると聞きます。

 

「猿」とは

この中国の故事中の猿を言ってるんですな。

母猿の切ない鳴き声は、

古来多くの漢詩文中で見つけられるわけです。

 

よって「猿を聞人」とは、

「猿の声を悲愁と感じる詩人」の

意味となるわけです。

 

有名どころでは、嘆きの詩人杜甫

「秋興八首」という中に

「聴猿実下三声涙」とあります。

 

読みはこう。

「猿ヲ聴キ実二下ル三声ノ涙」

 

猿の声を聴き

繰り返し、繰り返し

涙を流す杜甫

 

ナルシズムと言えばナルシズム。

しかし、これをもって

批判する輩とは、浅学の人。

ワタイはそう思うザンス。

 

そもそも、表現とは

 

人に非ざるものの生業なりければ

 

世阿弥の言葉ですね。

 

風姿花伝・三道 現代語訳付き (角川ソフィア)

風姿花伝・三道 現代語訳付き (角川ソフィア)

 

 

どんだけハードな人生だと

思ってんですか?

表現する人のことを

全然わかってないでガンスねえ。

 

 

 句のつづきをどう読むか

この句の後、芭蕉はこうつづけるザンスね。

 

いかにぞや、汝父に悪まれたるか、

母に疎まれたるか。

父は汝を悪むにあらじ、

母は汝を疎むにあらじ。

唯これ天にして、汝が性の拙きを泣け。

 

 

 

江戸時代の「捨て子」については

この方のブログが、とても良いと思ったわけです。

 

www.thutmosev.com

 

仏教的解釈とか

まあいろいろ言われておるわけですが

そんな簡単な話でもなかろうと。

 

古来、日本は血縁者に対して

冷暖と言うか、それほど頓着しないんですね。

 

ここ大変重要です。

「親子愛」なんてのは、愚の骨頂だったわけです。

だいたい、歴史上で行くと

実子に対して、溺愛するのは

アホな人としてでてくるわけです。

 

ここで腹がたった人は

不勉強ですな!

 

なにも、あなたの愛情を否定はしていないんです。

しかし、その感情は近代のものです!

そう言っているだけなんザンスね!

 

表現すること

芭蕉にしろ、誰にしろ

表現するということは、

そもそも残酷なことなんですな。

修羅というか、世界がネタでしか無い。

そのクールな感覚が、ハッとする「美」を

生むわけザンスね。

 

その世界に、普通の人が住めるわけがない

わけでございますなあ。

今どき「アーティストとして」だとか

表現者として」だとか、

「クリエイターとして」だとか、

笑止なことをみんな言うわけザンスが。。

 

芭蕉は、どういう思いで握り飯を投げ

それを書き、そして残したザンスかねえ。。

その深さ。

舐めたらいけませんよ。

すぐ分かっちゃーいけません。

 

まとめ

基本的に我々は労働をして

生活の糧を得ておるわけです。

その労働の視点から、

すべてを理解しようと無理があります。

その原点はこれでしょうなあ。

 

資本論 (1) (国民文庫 (25))

資本論 (1) (国民文庫 (25))

 

 

ある偉人の思想が、

遠き日本に根を下ろしたわけザンスね。

 

しかし、その見方で世界を分析できると

信じ切ったお馬鹿さんは、

実に多いわけザンスね。

 

やがて、コミュニズムから離れると言うか

それを意識しないまでも、不思議な「常識」が

我々を蝕んで、多くの不幸を

作ってる気もするザンスね。

 

河原に捨てられた赤子に

握り飯を投げてくれる人もいるだろうけれど

その人は通り過ぎてゆくわけザンス。

 

今も昔も

実は何も変わらないわけザンスね。

しかし、「いいことしなきゃ」っていうのは

ちょっと違う気がするザンスね。

 

通り過ぎる人にも

それぞれの事情。

そのもうちょっと深いところに

思いを馳せながら、年末を

過ごしておるわけザンス。。

 

みなさんに、さちあれ。

 

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