このトップ画の右側のレーサー。
ヘルメットに「Mary」
名前に見覚えりません?
これに出てきた、メリー・マクギーです。
8マン認定ゴージャスセレクトで
唯一入ってきたバイクの写真。
トリはこの人!って女性。
気になったんで、
ちょっと調べてみました。
すると、想像よりはるかに
ぶっ飛んでましたよ!
ではさっそく!
英語のウキペディアにも
記載があります。
で、検索かけると
事実はもっとぶっ飛んでた
おばあちゃんでした。
まず近影。。
なんすか、このゴージャスな
明るい世界。
現役で走ってるわけザンスね。。
この写真を見つけた段階で
もう、メリーさんラブ!
で検索しまくったところ
いろいろ発見。
英語ウィキをざっと翻訳すると
1936年に生まれて、
1957年にレース開始。
借り物のメルセデスSL300で初レース。
これザンスよ。。
借り物って。。
貸す方も貸す方ザンスが
借りる方も借りるほうザンスね。。
やがて、メリーさんは
マスコミからも注目されるようになり
こんな感じのアイコンになるザンスよ。
女性たちよ、
退屈なフリーウェイに飽きたら
グダグダ言わず、バイクを買って
メリー・マクギーになろうぜ!
(モータートレンド紙 1962年1月号)
すげえなあ。。メリーさん。。
オートバイ・ロードレーサーとしての活動は
1960〜63年。
この間、車のレースにも参加してますし
離婚してますし。
シングルマザーになってますし。
兄貴は事故で死んじゃうし。
もう激動なんスね。
んで、
「女性にオートバイレースは無理かも知んないよ」
「なんでさ?」
となり、
「やったろうやないの!」
で見事パス。
ちなみにレーシングライセンスを出していた
AMFという組織のトップが、
あのウエス・クーリーのお父ちゃん!
なに、ウエス・クーリーをご存じない?
日本が生んだゴッドハンド。
チューニングの神様、吉村秀雄。
人呼んでポップヨシムラ。
その全盛期を支えたレーサーがウエス・クーリー。
この人ですね。
ポップとの出会いや会話は
実に泣けると言うか、いいんですよ。
熱いポップの動画は、見ておいて損はないザンス!
熱い時代の日本人と、それに答えたアメリカ人の
震える話ザンスよ!
この大会で、走ったライダーの一人が
ウエス・クーリー!
まあ、ポップネタは、また別の機会に。
で、そのクーリーのお父ちゃんの時代。
若きメリーさんはバイクレーサーなんすね。
日本とは浅からぬご縁のメリーさん。
彼女の口癖がこれ
WHY NOT ?
イカスザンス!
こちら英語サイトザンスが
よかったらどうぞザンス!
で、この間にホンダの125CCで
レースするんザンスが、男女混合で
ピンク水玉ヘルメットで出るんですな。
その写真がこちらたち。
イカス!
マジイカス!
なんで1963年までしか活動してないか、
これも実にクールな理由があるんザンスね!
1964年からルールが変わり
男女が分けられる事になったザンス。
それに腹を立てて、メリーはバイクレースから
引退するザンス。
メリーさんは、男女なんて関係ない。
人間として勝ちたかったのです。
なんてクールなんだ!
メリー、マイ・ラブ!
で、その後どうしたかと言うと
友人のスティーブ・マックイーン(!)に誘われて
バハ1000マイルとかの
砂漠レースに出るわけですわ。。
だいぶぶっ飛んでます。
たまんねなー、
メリーさん!
こちら、1975年のメリーさん。
バハ500マイルレース。
500マイルクラスは、
実は1000マイルより、もっとスピード出す
徒競走レース!
マシンはハスクバーナ!
うへえ!
その後、数年してバイクから離れたものの
2000年頃からレース再開!
ネバダのクラッシクダートレースで
60歳以上70歳未満クラス(!)で優勝。
で復帰。。。
復帰って!
愛しのメリーさんの動画。
世界GPの元締めFIMから、あんたすげーよ!
と認定され始め。。
そして、2018年。
レースの元締めが認定する
「バイクの殿堂」に入ったわけザンス!
マジの殿堂入り!
いやあ、素晴らしい!
「とにかく、オートバイに乗ったときは興奮した。オートバイは私の人生に必要なアドレナリンをくれた。辛い人生だったとか、いろいろ人は言うけれど、私はいつも楽しんでいたのよ。今でも私はレーサーだし、ライダーよ。日々が輝いているもの」
ああ、もう
メリーさん
L・O・V・E !
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