このトップ画は、
なんとなく「青さん」の私のイメージなんです。
いいですよね。
剣と秤を持って、世界に挑んでいる感じが。
さて、今回は長いので、
原文をそのまま載せると、
ちょっと読みづらいと思われたので、
前後編の二部作です。
クリスマス、お正月と、
日本独自の宗教的行事が続くのですが、
改めて、「神仏」を考えてみようじゃありませんか。
この時期だと、ハヌカだ、預言者生誕祭だ、
とかもあるでしょうけど、
ここは一つ日本のオリジナルなやつで。
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個人的には、
既に癒しの時代は去った、
のだと思うのであります。
ボッサのけだるい感じに、
癒されている場合ではないのでありまして、
津軽三味線なりフラメンコなりで心をかきたてて、
情熱をエネルギーに変えて、
前進するべきだと思うのであります。
とまぁ、そうは思うものの、
ストレスの多い時代であります。
軍艦行進曲で勢いをつけても、
コーヒーで一服入れるときぐらいは、
けだるいシャンソンでも聴きたいのは人情であります。
そういう風なことを、昼間考えていたところ、
ふと思いついたことがあります。
大勢を占める宗教で、
地獄・極楽が規定されております。
地獄はね、なんとなくわかるんですよ。
苦痛を与えるわけでしょう。
針なり槍なりで突くとか、
剣なりの刃物で切るとか、
槌や杖でぶん殴るとか、
重たいものでつぶすとか、
溺れさすとか煮るとか焼くとか…
まぁ、大体なんとなく、
ぞっとする場所だということはわかるんです。
翻って考えてみて、
極楽とはどういう場所なのでしょうか。
一切の苦しみがなく、
ひたすら楽のみがある場所、
それがが「極楽」でありましょう。
イスラム的には、
72人の処女といろいろできる場所、
という話でありますな。
さて、女性はどうするんでしょうか。
痛みや熱感知が、
死後も何らかの形で存在すると仮定して、
地獄はわかるんです。
切られる事に慣れたとしても、
熱いものは熱いでしょう。
熱いことに慣れたとしても、
重たいものは重たいでしょう。
そういう感じでローテーションを上手くまわせば、
慣れてもずーっと苦しいと思うのでありますが、
楽しいほうはそうはいきません。
酒も飲み続ければ飽きましょう。
女も抱き続ければ飽きましょう。
男とても同じことでありましょう。
飯も食い続けては、
感動はないのではないかと思うのであります。
楽しい、という事は、
どういうことかと思いをはせてみると、
欲したことやモノが成就あるいは入手できた時に、
感じる心の動きなのではないでしょうか。
これは、利己的なものだけとは限りませんよ。
だれそれが幸せになってほしい、と思う。
そのだれそれが幸せであるように見える、
それは良かった、と思う。
これもまた、望みがかなったということであります。
では、望みとは何なのでしょう。
続きます。
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アメリカでオバマが新大統領に選出され、
日本では0系新幹線が消えた月でありますねえ。
0系といえば、日本の高度経済成長の象徴でしたね。
神戸にある、カワサキワールドという博物館で、
再現されている車両に乗ったことありますけど、
びっくりするくらい、座席が狭いんです。
あれがほぼ十年前なんですねえ。
さて、青さんの言うとおり、「望み」とは再考する必要があるようです。
0系のからみで、のぞみってこれだろ?
という、ギャグは、なしです。
大真面目にいくのです。
(そう考えると、この10年って、爆発的に進歩したはずなんだけどねえ。信じられない思いでクリック!)