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実は謎だらけ  The Soul of Japan 武士道 その1

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「カッコいい」訳だと思います。

 

武士道を、The Soul of Japan と表したのは、

新渡戸稲造

最近まで5千円札に出てた人ですよ。

この人です。

 

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立派な人だと思いますよ。

 

でもねえ。。

この人、よく言えば理想主義者。

悪く言えば、おめでたい。

 

The Soul of Japan もね、

なんとなく言い返したかったんだと思うんですよ。あちらに。

 

悔しかったんじゃないですかね。

同じクリスチャンなのに、クリスチャン扱いされない事とか。

 

?クリスチャンが、武士道?

そう思いませんか?

意外と多いんですよ、明治に武家出身のクリスチャンは。

 

でもそれ、なんかおかしくねえですか?

 普通に考えてみれば、相当奇妙です。

 

ここで、武士道を大雑把にふりかえってみましょう。

 そもそも武士道ってなに?

身も蓋もない話しですが、はっきりしませんね。

時代時代で違うんですよ。

 

まあ、概念ってのは、おおむねそういうものです。

例えば、フランス革命の「人権宣言」って、

パリから最果てがバスティーユくらいまでの人間にしか、

当初は認めていなかったんです。

そこまでが「世界」で、それより遠くは「異界」だったわけです。

ですから、人権なんて、そこの人間にしか適用しなくて問題なし!

だったわけです。

 

今の時代に漠然とイメージする武士道は、

どうも、明治の時代に、西洋へのカウンターとして作られたようですね。

そりゃ、当時は劣等感バリバリだったでしょうしね。

 

それを、日露戦争あたりから、更にデフォルメして、

太平洋戦争で負け始めると、

「死ぬ事とみつけたり」という「葉隠」の一文が多用されて、

今のイメージの原型が出来上がったみたいですね。

 

それが戦後に、もっと盛り上がります。

高度経済成長時には、ロマンチックさも手伝って、大受けします。

個人的には、司馬遼太郎が作ったプロバガンダ、

と言ってもいいくらいじゃないでしょうか。

 

初期の武士道

初期と言っても、武士道と言う雰囲気が現れるのが、戦国中期。

ではその時代に、武士道とは。。

 

「なんとしてでも勝て!」「卑怯な事たくさんやれ!」

「死んだら、元も子もない」「身体が資本!」

 

という、サバイバル概念なんですよ。

これは、甲陽軍鑑に出てきます。本自体の成立は江戸初期。

この本もいろいろ言われていますけど、

まあ、資料としてはともかく、

空気感は、だいたい正確なんじゃないでしょうか。

 

同じような事を、築城名人藤堂高虎も言ってますね。

「主人を七回くらい替えて一人前よね!」とか。

「転職は気軽にね!なんだったら、出戻りOK !」

とか。

 

更にその前、鎌倉とか平安後期とかは、

「ご恩と奉公」という、実力主義の、フリー契約ですからね。

この場合、「ご恩」は、雇い主がお金や領地を与える事。

「奉公」は、それに対して戦って、さらに貰えるものを増やす事、です。

一騎打ちは、なにも武士道だからじゃないんです。

ああやって、名乗りを上げないと、

勝手に誰かの手柄にされちゃうからなんですね。

まさに、仁義なき戦いの世界ですね。

 

じゃあ、「追腹」とか、「すてがまり」とかは?

これねえ、当時の流行って言う部分が大きいですね。

カッコ良かったんだと思います。

「すてがまり」については、

どうも薩摩の風土と関係あるのかもしれませんね。

なにせ、島津があの土地を支配したのは、鎌倉初期ですからね。

そこから、ずっと島津の王国だったわけですから、

ちょっと、気風がちがったんじゃないでしょうか。

死んだ兵の家族とかも、

「うちの父ちゃん、最高にかっこええやんけ!」

って書いてますしね。

 

世界的に有名な「葉隠」の登場

この辺りから、ちょっとムードは変わります。

時代としては、江戸中期と呼んでいいでしょう。

あの有名な「葉隠」が世に出ます。

 

葉隠 (知的生きかた文庫)

葉隠 (知的生きかた文庫)

 

 

これねえ、佐賀鍋島藩の、巧妙なステマだったんじゃないか、

と私は思うんですよね。

本の大半は、武家のビジネスマナー本なんですよ、実は。

酒の断り方とか、盆暮れの贈り物のやり方とか。。

 

でも、残りが危ないというか、なかなかすごい。

鍋島藩は、けっこうなテロリストを一杯飼ってますよ、的な本です。

徳川が、もし鍋島を取りつぶしとかしたら、

こいつらなにやらかすかわかりませんなあ!的な。

もう、すぐ死ぬし、すぐ殺すし、迷いないし!

 

そうしながら、一方では禁書にする、という老獪さ。

このやり方、全く、「武士道」ぽくない!

 

徳川も、扱いに困ったんですね、この本。

一応、禁書にしながら、取り締まらないという感じ。

 

これねえ、それなりに理由あったんですよね。

徳川にも徳川なりに。

 

いつの世も、上は上で、気苦労が耐えないようですねえ。

 

武士ってのは、殺人に特化した技能集団 

武士ってのは、元々殺戮集団なわけです。

これ、べつに蔑みで言ってるんじゃないですよ。

そういう、特殊技能を持った、職人集団なわけです。

 

で、もめ事が半永久的に続いていたわけです。

これは、鎌倉、南北朝、室町、と続きます。

 

極めつけは、応仁の乱

もう、分けわかんない状態。

そして、秩序良く戦争していたのが、戦国時代。

 

江戸幕府誕生で、一応平和がやってくるのですが、

そこで、フリーの武士は、官僚として正規職員になるわけです。

 

でも太平の世が続くと、ただの役人でしかないわけです。

その役人が、長ーい刃物を持ってるわけです。

今で言うと、市役所の窓口の人が、

刀腰に差して仕事してるわけです。

 

持ってるなら、使いたくなるのも人情。

使えないなら、持ちたくないのも人情。

持ってないと、権威がでないのも現実。

権威がないと、馬鹿にされるのも現実。

 

となると、持ってるけど使わせない理由。

つまり、「殺れるけど殺らない」自制の概念と、

持ってることへの、優越感が必要と気づくんですね。

 

葉隠」けっこう、使えんじゃね?

とね。

 

うーむ、なかなかやりおるでしょう?

徳川も。

でなきゃ、250年続きませんわね。

 

一旦休憩

ここまで書いてきて思ったんですけど、

これ以上長いと、読んでて嫌になりますよね。

また続きは後日書くとして。。

 

前半だけで、こんだけややこしいことなんですよ、武士道って。

しかも、武家での話しだけですからね。

よって、The Soul of Japan と書くのは、

またこれ無理矢理な話しなんじゃないかと。

 

ではまたいずれ、この続きを。。

 

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