ボクがまだ小学生だったころのお話。
学校前で駄菓子の屋台やら、怪しげな文房具を売るテキ屋がいたりしました。
今にして思えば、ひどい話だと思うんですよ。
何しろ大人が小学生から小銭を撒き上げようと必死に、ガラクタとか売りつけるわけです。
その中で、映画の割引券を配るジジイがいました。
その頃は全国拡大ロードショーなんてものはなく、
映画は地方には、数ヶ月遅れてやってくる。
確か子供料金は400円くらいで、その券があれば300円で観ることができました。
地方都市に映画館も10館くらいはあったと思います。
映画に行ってみようと友達に誘われ、
小遣いを握りしめて精一杯大人っぽい服を着て(笑ってしまうな、小学生だぜ)、
初の映画鑑賞にボクは繰り出しました。
映画の題名は「ヘルハウス」だったように思います。
もちろん友人もボクもお金に余裕があるわけもなく、
映画代と行きのバス代を払うと残りは300円位だった気がします。
繁華街がまだ賑やかで、大人達が威勢よく金を使う時代でした。
そんな人込みを抜けて、ボクたちは映画館に辿り着きました。
映画館の中でも一応“禁煙”の文字はありましたが、煙草が吸えました。
ポップコーンなんて洒落た食物はなく、
定価よりも高いチョコレートやポテトチップスくらいしかなかったと思います。
そう言えば煙草も売っていました(なんていい時代だ!)。禁煙なのに。
ボクたちは、お互いに強がっていましたが、
心底ホラー映画にビビリ、またお互いにそれを悟られまいと
「大したことないよなあ」などと嘯いたりしました。
さて、問題は帰りです。
二人のバス代を足すと200円ちょっと。
でもボクたちは、“映画の帰りに飯を食う”をやってみたかったのです。
それで、歩くには遠いけど、歩けないことはないだろうという結論を出して、
場末の喫茶店のような店に入りました。
なにしろ初めてのことなので、悩みに悩み、選びに選び、
中に怖そうな中学生や高校生がいないのを確認して入りました。
ソファに座るのはなんだかいけない気がして、
カウンターのスツールによじのぼりました。
それくらいにボクたちは、まだチビなガキだったわけです。
くわえ煙草で蝶ネクタイをだらしなくぶら下げたマスターが、
メニューを投げるようにボクたちに差し出しました。
ボクは心底後悔しました。
なぜなら、300円で食べられるものは焼き飯一人前のみだったからです。
「心の中で“ここは大人が来るところだ、来るんじゃなかった」と思いましたが今更遅い。
なぜか悪いことをしているような気分になってきます。
マスターはじっとボクたちを見ています。
友人は下を向き、泣きべそのような顔をしています。
さっきまでの悪童顔はありません。
選択肢がないので、焼き飯を一人前だけ注文したところ、
マスターは黙って頷いてくれた。
注文が出来上がり、二人で一人分の焼き飯を食べていました。
少し離れた席に座っていた中年の女性が声を掛けてきました。
むせるような香水と化粧の匂い。
明らかにそっち系の女性です。
「あんたら腹減ってないの?それともお金ないの?」
ボクたちは困って、じっとその女の顔を見ました。
すると女性がこう言いました。
「クリームソーダ2つと、プリン2つ、その前にサンドイッチを4人分」
ボクは間抜け面で訊きました。
「おばちゃん、どっかであったことある?」
女性は大笑いしました。しばらくその笑いは止まりませんでした。
「ガキが生意気なこと言うんじゃないよ。言うんなら『有り難うございます』だよ」
それからボクたち、は学校の話しだとか、
今日初めて映画館に行き、初めて自分たちだけで喫茶店に入ったこと、
などを自慢気に話しました。
女性はニコニコしながら聞いてくれて、こう言いました。
「ほら、もう夜だよ。ガキは帰んな。お母ちゃんには内緒だよ」
なんだか叱られたような気がしてボクたちは、そそくさと表に出ました。
確か季節は初冬で既に暗くなっていました。
ネオンが運河にキラキラと光っていました。
二人は無言で歩きました。
お城を抜け、バス道を歩いきました。
とても歩き疲れましたが、
なんだかやり遂げなければ駄目な気がしていました。
友人の家の前で彼が言いました。
「これやっぱり内緒にしとこう」
「うん、そうやな。そうしとこ」
その時一緒だった友人は坊さんになりました。
その彼も、既に20年ほど前に事故で亡くなっています。
付き合いは続いていましたし、数少ない心許せる友人だった。
だが何故かしらあの日のことはお互い話題にしませんでした。
二人の話題にしなかったことは、悔やみはするものの、
それはそれでよかったような気もします。
でも一つのことだけが悔やまれます。
あの人に、ありがとうを言っていません。
ボクは酔っぱらって女性に支えられながら、
夜明け前の運河沿いを歩いていたのです。
あの頃、夜の世界は遠かったけれど、
それほど悪いところじゃなかった。
今ならありがとうって、素直に言えるのに。
そしたらきっとあの女性はこう言ってくれると思ったんです。
「コラッ!『有り難うございます』だろうが?」
ってね。