この狭い坂に、薩摩と官軍が、
白刃に血しぶきの田原坂にいる青さん。
剣道やっていた青さん。
経験者の、怖い解説つきです。
ザ・田原坂!
ではさっそく!
==========
田原坂は藪の中。
この藪に、
薩人マシーンが潜んでいて、
チェストーーーーー!!!!
の声と一緒に
切り込んで来るわけです。
こんなのが、藪からニョキニョキ
出てくるんですよ。。
無数の白刃。
物凄く怖いですよ、これは。
想像しているだけで
体中が粟立ちます。
私が延々と口ずさんでいたのは
「田原坂」でした。
でも、この公園で流れているのは
「正調田原坂」です。
ちょっと曲調が違うんですね。
詩吟的な田原坂と違い、
少し明るい調子で小唄のような雰囲気。
興味がある方はどっちも
You Tubeにありましたので
探してみてください。
雨は降る降る
人馬は濡れる
越すに越されぬ
右手に血刀左手に手綱
馬上豊かな
美少年
の、美少年の像がこれ
よく考えると不思議なんですが、
こんな戦場で馬は使いにくいだろうに。
田原坂で官軍が
薩軍に苦労したのは、
抜刀白兵戦術です。
藪から急に来るんですよ、薩人が。
白刃の海、いや山?
なので、それに対抗して
官軍が投入したのが
「警視庁抜刀隊」なわけです。
軍歌「抜刀隊」も、
まさにこの戦場のことを
歌っております。
敵の大将たるものは、
「古今無双の英雄で〜」
というのが西郷さんですな。
でも、こんな狭い戦場で、
馬の出番はないだろうに。
竜騎兵的に高機動歩兵として使うにも、
田原坂は幅数メートルの切り通し。
それ以外は藪と、
きつい斜面ですからねぇ。
きっと、西南戦争全般の
イメージなんでしょうが、
ちょっと引っかかりました。
どうでもいいことなんですけどね。
いい場所です。
歴史に思いをはせるには大変結構。
ただね、大丈夫なんでしょうか。
田原坂は、当時のまま。
大砲が移動できる
唯一のルートだった切通です。
今年の大河。
年末には終わるんでしょう?
とすると、
たぶん城山で自決するところが
ラストシーンでしょう。
その前が田原坂の戦いでしょう。
来ますよ、観光客。
対応できるかねぇ…
今だったから私は行きましたが、
次来る時は、
ほとぼりが冷めてからにしよう
と思うぐらい、狭い道でした。
着くに着けない
田原坂公園でありました。
官軍が上ってきた方向から
順番に
「一の坂」「二の坂」「三の坂」
と名前がついているんですが、
その一番下の一の坂には
駐車場があります。
砂利ですけど。
この竹藪からも、
わらわらと白刃を持った、
示現流が沸いてきたはずです。
ここに車を駐めて、
田原坂公園まで
歩いて登るのも
面白いかもしれませんね。
その、まさにそこで、
誰かが切り殺されているんですから。
官軍の気分で
田原坂公園まで歩いていけば、
隣の藪から薩軍が
白刃とともに降ってくる
その感じがね、なんとも。。
リアルすぎますね。
それがどんなに恐ろしいか、
簡単に追体験できると思います。
コツは、ここで誰かが切り合った、
ことを思い出せばよいのです。
大変興味深い寄り道でした。
この判断は正解だった。
迷わず来れたことが
何より嬉しいですね。
まぁ、3号線を黙って北上していれば、
もう少し早くたどり着けた
らしいのですが、
アクシデントも旅の彩りであります。
なによりアクシデントなど
起きておりませんしね。
さて、と。帰りましょうか。
後は来た道をただ帰っただけです、、
となるのはいつもの話。
今回は最後まで
お付き合いいただきますよ。
えーっと。
どこを目指すんだっけか、次は。
田原坂を後にして、
海を求めて走り出した、
といったところで。
===========
この藪から、
数十数百の白刃が、
飛び出してくるんですね。
この奇声とともに。
確か、警視庁抜刀隊には、
名前を「藤田五郎」に変えて。
ああ、ありました。
これですね。
ってことはですよ、
この坂で、殺人マシーン薩人と、
刀で斬り合いしていたわけですね。
おっかねー。
ちなみに、斎藤一の遺族が公表した
写真が、なんかカッコイイというか。。
まあ、思い込みも
あるかもしれませんけど、
まさしく死線を越えて来た男。
白刃に身をひるませない男。
そういう目つきですなあ。
うーん。
なんかいろいろねえ。。
すげえなあ。
さあ、ここから青さんは、
帰路につくわけですが、
しっかり旅して帰るわけです。
まだまだ続きます。
(マジで月末までかかるんじゃない?まあ、それもまたよし。ゆっくりしていってよ!でクリック!)