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The Soul of Japan 武士道 その7 ついに江戸時代に突入

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このお題も久しぶりですね。

しつこく続けますよ。

 

続けて読まれたい方は、こちらで一気に。

chuff.hatenablog.com

さて、前回ではやっと徳川の世に入ったあたりです。

chuff.hatenablog.com

戦乱の時代が終わって、武士はどう暮らしていくんでしょう。

 

 少し時代は戻りますが、秀吉が朝鮮出兵します。

まあ、諸説ありますけど、あの時代に日本を誰が統治しても、

行かざるをえなかっただろうという説が有力です。

 

と言うのも。。

武士は本来「御恩と奉公」という契約関係にあります。

ここで書いたとおり、フリー契約に近いわけです。

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なんだかんだ言って、この契約形態で500年くらいやってきてたんです。

報奨は基本的に土地の権利です。

 

しかしねえ、もうなかったんですよ、土地が。

それに現役ですっごい殺戮集団が目の前にいるわけです。

時代は変わっても、意識はすぐには変わりません。

なので、新しい土地が必要だったわけです。

そこで、朝鮮から中国、はてはインドまで行くぜ!

と拡大政策になるわけです。

 

こういうのは、日本だけではありません。

世界的によくあることですよ。

 

それも終わって江戸時代。

どうしても、豊臣のもつ土地を徳川は必要だったわけです。

大阪の陣以降、江戸幕府は他藩の取り潰しを積極的に行います。

 

まあ、これも、いろいろ事情はあるんでしょうが、

土地が必要だったってのは大きいでしょうね。

なにせ、もう新たな土地がないのに、養うべき人間は増えてゆくわけです。

戦がないから、増えるばかり。

だから、人工的に減らすしか無いわけです。

いろいろ、難癖つけて「お家」を取り潰さねば、

役人となった武士が増えてゆきます。

この難癖つけるための規則、これが有名な

 

武家諸法度です。

武家諸法度 - Wikipedia

 

御法度と言う言葉があるように、

これしちゃダメのオンパレードです。

それでも、関ヶ原とかで現役でやり合ってた武士が、

おとなしくなるわけないんですね。

そりゃそうです、何百年も基本的には「親方」以外には、

決して従わない癖がついてんですから。

この時代、生命なんて、とんでもなく軽いわけです。

何かというと、白刃が飛び交うわけです。

 

そして、この気風に対して、極端に生命の価値を説く政策が出ます。

それが五代将軍綱吉の有名なアレです。

 

生類憐れみの令ですね。

生類憐れみの令 - Wikipedia

 

そりゃもう、過激なもんです。

逆に言うと、そこまでやらないと、

収まらなくなってきていたとも言えるんですね。

綱吉がとても小柄だったからだとか、

戌年生まれだったからだとか、

いろいろ言われていますよね。

最近の研究では「天下の悪法」から、

平時への一大転換政策として評価され始めているようです。

 

綱吉の死後、この令は取りやめになりますが、ムードは変わります。

生命の重みが出てきたわけです。

同時に、戦場では主たる武器であった、弓、槍、は一種の芸となってゆきます。

しかし、刀は腰につけたままなわけです。

 

ちなみに、刀が主力の武器になった時代はありません。

なんだかんだ言っても、飛び道具なわけです。

昔の絵では、武士は基本弓です。

足軽も主な武器は槍です。

イメージでは刀を抜き合っている姿の合戦ですが、

アレで届くには距離が近すぎるのです。

ですから、あれは護身用と言うか、最後に抜くものなわけです。

だからというか、残ったというか。。

 

それが全武士の腰にあるわけです。

戦もないのに。。

 

考えてみたら、とても物騒な話です。

日本刀を間近でみたことある人ならわかるでしょうけど、

あれは「危ない」感じしますよね。

 

それをですよ、高級官僚である旗本をはじめ、

与力同心、はては小間使いクラスまで持ってるわけです。

平和な時代が続くと、もういいやと売り飛ばす武士も出てくるわけです。

要らないと言えば要らないし。。

 

しかし、そうなると、武士の特権もなくなると同時に、

「棟梁」たる徳川への忠誠も軽くなってきます。

ここで、武家諸法度がさらに厳しく言い出されます。

時代的には新井白石の、朱子学原理主義の頃です。

まあ、融通のきかないオッサンではあります。

 

このムードの中、厳しく「武家」であることを求めつつ、

同時にそれを行使しないことも求められます。

 

さあ、どうです?

なにやら、我々のイメージする「武士道」に近くなってきませんか?

葉隠」が記されたのが1716年ころ、新井白石が落ち目になってきた時代です。

「朝毎に懈怠なく死して置くべし(聞書第11)」とするなど、常に己の生死にかかわらず、正しい決断をせよと説いた。後述の「武士道と云ふは死ぬ事と見付けたり」の文言は有名である。同時代に著された大道寺友山武道初心集』とも共通するところが多い。

なかなか強烈です。

皮肉もあったんでしょうねえ。

 

葉隠 (知的生きかた文庫)

葉隠 (知的生きかた文庫)

 

 私見ですが、これは佐賀鍋島藩の見事なプロパガンダと考えられます。

 

しかし、 翌年の1717年には、吉宗の時代が来ます。

白石は罷免され、享保の改革が始まります。

吉宗は、朱子学原理主義的なメンバーを追放し、

緊縮と緩和のダブル政策で、一発当てます。

内容は、現実政策と同時に、朱子学の都合いいところは使いまわします。

 

同時に、「葉隠」を政治利用し始めたわけです。

この、矛盾の中で、幕末までは一旦武士道は単なる「嗜み」となってゆくわけです。

どうも、吉宗の考え方が、大きく影響してきたわけですね。

 

ちなみに、和歌山の殿様って、戦前までこんなにイケてたんですね。

紀州徳川家 - Wikipedia

まさかって、やつです。最後かなりグダグダですけど。

 

(グッと明治が近くなってきましたね!あと少しで繋がりますよ!そこでクリック!)

 

 

 

オマケ

「酔人日」の蔵元が廃業していたことを、初めて知りました。

なかなか衝撃です。思い出のお酒だったので残念です。

帯庄酒造訪問記