これは、みなさんご存知の「あの時」流行りましたね。
「あの時」の多くの人の心情に、訴えるものがあったのは事実だと思います。
こういうのは「恣意的」というのです。
勉強になりますね。
ああ、こういう話題のときは、無理して読まなくていいですよ。
しんどいですからね。
ときどき、チャフはこういうモードになるんです。
一般的に使われている「恣意的」は誤用され、
「わざと」に近い意味になってますね。
それ、違います。
「なんとなく、それは妥当である、と高い確率で言える事」なわけです。
もともとは、確か神学や経済学とかの言葉じゃないでしょうか。
哲学でもよく使いますね。
最近では、マイケル・サンデルが、これでよく使ってました。
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観た人は多いでしょうけど、勘違いした人も多いですよ。
私の周囲にもたくさんいました。
なぜ人間を殺してはいけないか?
は、真剣に考え始めると泥沼ですが、
通常は「ダメ」と感覚的に分かっているわけです。
こういうのが「恣意的」ってやつです。
善は正しい事、偽善は良くない事、これは感覚的に分かっていることなんです。
分かっているからといって、守るかどうかは別ですよ。
するかどうかは、また別の話です。
であればですよ、もし「しないこと」が「善」であるなら、
やはり、しちゃいけないんじゃないかと。
少なくとも、それは本当に「善」、もしくは「偽善」であったのか?は問われるべきなんですね。
「いざってときは、そんな事言ってらんない!」
とかあるでしょうね。
そりゃそうでしょう。
でも、「いざ」が終われば、立ち止まって考えるべきなんです。
「いざ」が終わったのですからね。
なぜそうしなければいけないのか、と言うと。
同じ事がもう一度おこった時、
どうしたらいいのかを、
冷静に考えておくためです。
武道の「型」というのがありますが、あれは実は高度なものです。
ただやってると、奇妙なものに見えますけどね。
あれは「いざ」のときのために、無数にやっている鍛錬です。
フルコンタクトの武道にも、もちろん「型」はあります。
同じ事です。
「偽善」と言う言葉が用いられたのであれば、そこにはある種の悪意があったはずです。
それはなんだったのでしょう?
やった後、どうなったのでしょう?
「やる偽善」は、「善」に変貌したのでしょうか?
みなさん、そこは、あまり考えたがりませんね。
時には、「やらぬ善」がありえたのかどうか、
心情的にはつらいところではありますが、
そこを考えてみませんか?
肝心なのは、正解ではなく、
「考える」その思考方法そのものなのですから。
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