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不倫誰かにはバレてますよ?ではなぜバレるのか?

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人は悪には耐えられず、歪めてでも善にしたがるのです。

 

お題「捨てられないもの」

 

世にあまたある不倫。

まあ、だいたいバレてますね。

配偶者にバレるかどうかはともかく、

だいたい周囲にはバレてる。

全員じゃなくても、誰かにはバレてるもんです。

でも、それなぜなんでしょ?

不思議じゃないですか?

誰にも言ってないのに!

 

多分なんですが、普通に生きていて

周囲で不倫話しと無縁な人いないでしょ?

まあ、そう言う人もいるんでしょうけれど

例外じゃないですかね。

で、人々は不倫話しに熱狂しません?

当の本人もそうですし、知った人もね。

憤慨したり、糾弾したり、

応援したり、共感したり、ドン引きしたり。

まあ反応はいろいろですけど、熱狂する確率が高いわけです。 

でね、もちろん当ブログでは「不倫の是非」なんか問いません。

そんなことは、青臭いガキがやっておればよろしいのです。

 

実は先日相棒の青さんと

「最近我々はたるんでますな」と言い合っておったのです。

更新は下がってるし、やる気も下がっておるわけで。

そこで相互にお題を出しあったわけです。

青さんから私へのお題は、「なぜ危険な関係はモロバレなのか?」でした。

 

そこで今回は、なぜ不倫はバレるのか?

で行ってみます。

 

 

で、青さんとの会話の一端を。

 

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ね?

大人の会話です。

青さんは上の句しか言ってないのに、察して続ける。

 

うーん、大人!

 

青さんが書いているのは、正式にはこれです。

ogurasansou.jp.net

 

隠してる恋なのに、つい顔に出ちゃうよね。

うわっ、やべーじゃん!

って和歌です。

 

 

で、私が「善悪の彼岸を超えてないから」とか意味不明なことを言い。

それで青さんが「ああ、なるほど」となるのです。

でも、ちょっと端折りすぎですわね。

 

で、これをブログにまとめようじゃないかと。

そうなりました次第です。

さあ、脳みそをぎゅっと絞ってまいりましょう。

 

 

 

 

不倫を悪だと仮定する

だれもが「それはいけない」と思っていたとしますよね。

そのいけないことが、これだけ無数に存在しているのはなぜでしょう?

これは不倫が悪いことだと断定できないことを意味します。

だって、殺人と同じ数ってことはないでしょう?

桁が3つくらいは平気で違うと思います。

よって、一応仮定にしておかないとマズイわけです。

ちなみに、殺人と不倫が同じレベルなのが十戒

こいつですね。

 

 

無茶言うなや!

とは思うんですけど、神様が言うならそうなんでしょうよ。

ここいらにも、日本でキリスト教がメジャーになれない理由がありますな。

あっ、ちなみにあちらさんでは実際どうか気になりません?

 

守ってるわけ無いですやん!

 

守っている人ももちろんいるでしょう。

それは日本も同じことです。

いやー、でもひどいでっせ。

しかも、ちゃっかりシステマチックに罪悪感消してますわ。

告解泥棒いうのありましてな。

カソリックの告解、つまり懺悔ですな。

あれは悪いことが現在進行系では許されんわけです。

せやから、懺悔行く前にいったん関係を解消してクリーンになるんです。

そんで、許してもらってスッキリ。

スッキリしたので、帰り道にお花買って復縁するんですな。

 

ようできてますわ、彼奴等の屁理屈は。

 

しかし、我が国ではそのような宗教的制約はないわけです。 

こうなってくると、この軽い悪はなんなのかは難しいテーマになるんですな。

なので、いったん不倫は悪と仮定した上で話をすすめるわけです。

なぜかと言うと、悪にしとかんと話が進まんからですな。

こういうのは、思索の上で大事ないい加減さでありますね。

 

 

では悪とはなにか

悪とは何かを問い始めると、これね泥沼に入るんです。

というのも、人間という生物が知恵をつけてからずっと続いてる問なんスね。

悪を定義するには「善」が必要なんすね。

じゃあ「善」ってなによ?ってなるわけです。

これは比較的容易に定義できます。

 

その人の所属する集団や社会で、大多数の承認を得られること。

 

これでどないですか?

なんだかんだ言って、善を個人で決めることは難しいわけです。

「善」は承認がいるわけですね。

つまり、それを裏書きしてくれる他者がいる。

他者がいなくても、神様が承認してくれるとか。

完全に個人で「善」を決めると、まあそれは自分勝手なだけですわな。

 

そこから「悪」を見てみると、社会をすべて敵に回す行為や思考とよんでいいと思いますな。

ギャングが極悪なことやっても、ギャング内では「善」なら問題ないわけですな。

でも、ギャング外からは「悪」なわけです。

承認されませんからな。

でもギャングは、ギャング内でしか生きてませんから「善」なわけです。

ここでも、善に対する集団の裏書きは必要です。

 

なので、悪はいつでも個人の責任になるわけです。

となると、悪とは以下のように説明できますね。

 

その人の所属する世界に対して、承認されぬことを個人の力ですること。

 

どうでしょ?

シンプルすぎますかな?

ええ線行ってる気もしますけれど。

 

 

 

ではなぜ悪はバレるのか?

ということは、不倫を悪とした場合孤独になるんですな。

世界を敵に回す必要が出てくるわけですね。

誰もが経験あると思うんですけど、悪いことは楽しい。

その楽しみは、バレたらあかんことに由来しますわな。

何でもはじめはパッションありますから、バレないようにするんですな。

つまり、秘密を保持できるということです。

通常、個人が一人でやる場合でも誰かに言いたくなりません?

自慢したり、相談したり。

誰かに話すということは、世界に対してバレる可能性が高まるのにね。

それは、個人が自分の力で「悪」を保持することの困難さを示すわけです。

仲間をつくりたいわけですな。

仲間を作れば、それを聞いた人が保持してくれれば「小さな世界」を作れます。

つまり、裏書きが取れるわけです。

なんの裏書きかって?

 

「うん、まあわかるよ」って言葉ですね。

承認ですから、善の裏書き。

 

まあ秘密の共犯になるわけですね。

そうしたら、その二人の中では「悪」にはならないわけですね。

 

で、不倫ですけどね。

不倫ってのは常に共犯者おるわけです。

何しろ相手がおりますからね。

でも、これはとてもとても小さな世界です。

大きな世界に対抗できるほどのものではありませんわね。

もちろん例外もあるでしょうけど、例外は例外なんで

概論を語るときには無視してよいものです。

 

 

ここより、若干無意識世界への考察になってゆきます。

悪いことをするとバレたくないと思うのは、意識の世界。

しかし、人間は意識下で生きているとは限らないわけですね。

なにかを指摘されたりすると

 

「そんなつもりはなかった」

 

とか言う人おるでしょ?

でもやったことは、そんなつもりでなければやらないわけです。

事実とは冷淡なもので、

意識下であろうとなかろうと結果は変わりません。

ではそれをした理由を考えると「無意識」という厄介なものが登場します。

でね、集団からの承認ってのは、誰にでもあるわけですね。

同時に集団への反発ってのもある。

でも、この集団からの承認ってのは力強いんですな。

普通に考えると、「承認」ってのは肯定を意味するんです。

ところが無意識下ではそうでもないのでややこしいわけです。

 

言ってること伝わってない気がするんですが!

 

カフカの「審判」、カミュの「異邦人」。

 

 

あれね、そこのルールに入れてくれるんなら、罰せられてもええ!という話ですわ。

ルールに入れてもらえるってことは、仲間ってことですよね?

でね、入れてもらうと「悪」なもんで、罰が来る。

まあ、当然なんですけど、普通は嫌ですわな。

でもね、孤独より罰せられてもええから仲間にしてほしいと思うんですわ。

なので、悪はほころび始めるわけですな。

 

つまり誰かに言いたくなる。

よって、悪はバレるんですな。

 

不倫話しもそうですな。

誰かに言いたくなる。

言わずとも、無意識的欲求がそれと匂わせる言動を示す。

よって誰かは知っている。

それが先述の青さんの和歌なわけですね。

 

忍ぶれど 

色に出りけり

わが恋は

ものや思うと

人の問ふまで

 

つまり、ダダ漏れ

これは人の定めかもしれまへんな。

 

 

バレて何を求めるか?

まあ、無意識ってのは意識できない世界なんで

言った者勝ちの世界でもあるんすけどね。

それを承知でいうとですね、秘密ってしんどいわけですわ。

でも持ちたい。

それが秘密であり、悪なわけですわ。

バレることを望んでおる悪。

罰っせられたいという悪。

悪のくせに、善に寄りたい悪。

 

これね、自爆行為ですわね。

自傷行為と言ってもええくらいですわ。

その究極が自殺と考えるとしましょうや。

ということは、悪そのものはタナトスと無関係やないってことになりますな。

知ってまっか、タナトス

死への欲望ってやつですわ。デストルドーとも言いますな。

これですな。

ja.wikipedia.org

これねえ、私が思うに死さえも

集団への帰属欲求と言うてええんやないかと思うんですわ。

 

最近やったらコロナがまさにそうでっしゃろ?

そら怖い病気でしょ。

でも、ちゃんとアマゾンの買い物が届くんでっせ。

デカメロンの時代とはえらい違うのに、エボラウィルス並の恐怖感でしょ?

もう、怖がるのが好きとしか思えまへんな。

 

千葉真一さんが亡くなりはりましたけど、82歳ですわ。

冷静に考えたら、ええ歳ですわ。

でも、今我々が所属している社会では、被害者になるんでしょうな。

それが、承認ということですわ。

 

 

まとめ

我々は孤独ではいられないわけですな。

孤独でいることが好きっていう人おりますけど、

それを口にしている以上、それの承認を求めとるわけですわ。

 

ということは、不倫してる人も承認を求めるわけですな。

バレたら困るのにね。

こういう不条理な生き物が人間言うことになりますな。

 

悪は辛い。

そして人は善を求める。

善は承認されること。

 

もうね、善に渇望しておるのが人間かもしれまへんな。

 

せやからね、上手いことやっておくれやす。

細かいことはええやないですか。

 

善悪より、上手くやれってことですわ!

 

なにごともね。

 

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