CHUFF!! チャフで行こうよ。

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75年前長崎に原爆が落とされたのです。

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75年前の昨日。

キリスト教教会で、赦しのミサの最中。

その真上で原爆が爆発しました。

 

chuff.hatenablog.com

 

青さんは、正に直系の原爆三世です。

この日、長崎の小学生は夏休みだろうと登校します。

 

様々な感情的発言が飛び交い、

政治的な立場が交差した白日の長崎。

 

でもね、青さんの言葉に耳を傾けようじゃありませんか。

ではさっそく!

 

 

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日曜日の慰霊の日というのは珍しい感じがします。

曜日は7つしかないのですから、7分の1の確率。

十年に一度くらいはありそうなものですが、

その印象が薄いのです。


長崎市内の小中学校は、8月9日が登校日です。

夏休みの真っ最中に、学校に行かなければならない日。

この辺が、慰霊の日は平日

というイメージの原因になっているのではないかと思います。


さて。

6日の広島、9日の長崎と

今年も原爆忌の行事が滞りなく執り行われました。

今年は流行病の影響もあり、

規模や参加人数に工夫があったようです。


今年の原爆慰霊祭は被爆から75年の節目でした。

第一回慰霊祭。

正確に書くと「長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典」は

1948年に執り行われておりますから、被爆から3年後です。


そのズレが混乱を呼ぶのが原因なのかもしれませんが、

「第○○回」というのは無いようです。

被爆から何年、ということが重要なのですね。


前回の大きな節目は被爆から50年。

25年前ですから、

私は高1だったはずです。


現在の被爆者の平均年齢は、

大体83歳だそうです。

被爆当時8歳。

 

 


私の祖父母のうち、

台湾で砲兵をやっていた母方の祖父以外全員が被爆者です。

被爆者といっても、

炸裂した原子爆弾の直接の被害を受けた人と、

「入市被爆」の2種類があります。

私の祖父母は入市被爆の方です。

核攻撃を受けた日から2週間以内に、

爆心地から2キロの範囲に入った人が

「入市被爆」と呼ばれる被爆者です。


父方の祖父母は浦上に知人を探しに、

母方の祖母は城山に行ったと聞きました。

どちらも、爆心地からすぐそこの場所です。


先のベイルートの爆発でもそうですが、

巨大な爆発というのは猛烈な風を生みます。

 

www3.nhk.or.jp

 

私が住んでいる地域は、爆心地から7〜8km離れています。

それでも家の中のものが落ちたとか

瓦が飛んだとか、

近所の老人からそういう話はいくらでも聞くことが出来ました。

なにか、長崎でひどいことが起きたらしい。

それを感じるのに十分な衝撃風だったのでしょうな。


父方の祖父は、私が高校受験の年に亡くなりました。

ちょうど被爆50年の節目でした。

その当時でも、成人して被爆したのは70代ぐらいだったんですよ。


それが75周年にもなってくると、

被爆当時の記憶がしっかりしている人は

どのくらいいるんだろうな、と。


祖父が元気だった頃、

近所には戦地を知っている人は多かった。

銃後を守っていた当事者も山ほどいました。

 

 


あれから25年。

殆どなくなってしまいましたね。

私が9歳の年明けが平成の始まりでした。

その頃の記憶を一生懸命思い出してみますが、

首相が誰だったのかは思い出せません。

平成おじさんがよほど印象深かったのか、

官房長官小渕恵三だったのは覚えています。


バブル辺りだから、

リクルート事件とかがそのあたりじゃないか。

だとすると竹下登内閣じゃないかな。

というように、逆算的に記憶を補正することはできます。

もっというと「できてしまう」わけですね。

児童の頃の記憶は、ほとんどひとかたまりのものです。

それがいくつの時なのか、はっきりと覚えていることは多くない。

強い印象がある出来事であれば覚えているかもしれませんが、

それだって「整理された記憶」の可能性があります。

大人の記憶だって曖昧なことはある。

ましてや、子供の頃の記憶は微妙だと思いますよ。

もはや、それは受け継ぐべき記憶ではないのかもしれません。


戦後まもない頃から被爆者の証言は収集され、

アーカイブが作られています。

戦後75年の今、

そちらの活用に重点を移す時期に至っているのだと思いますよ。

 

今生きている被爆者の証言も大切です。

しかし、まだ生々しい記憶が残っていた頃に語られた、

大人として原爆を経験した人々のエピソードは

情報量も多いのではないでしょうか。


被爆の実相は、知れば知るほど

つらい気持ちになります。

毎日考えると耐え難いものですが、

8月の原爆忌終戦記念日にはしっかり考えてみたいものです。

ただね、ちょっと気になることもあります。


たとえば、火災にあった人の経験談を、

100人分聞いたとしましょう。

いろいろな悲しみ、辛さを知ることになります。


でも、本来知るべき情報は

「なぜ火災が起きたのか」

「どうすれば防げたのか」

でありましょう。

そちらがすこし、疎かになっているのではないかと危惧します。

平和を願う。

それは良いんです。

ただ、そこで止まってしまうと

神頼みとどう違うのか、ということになりませんか。


周辺が国が、ほぼ全部核武装しているという現実は、

無視してはいけないと思います。


本当に平和が尊いのなら、

それを守るために努力をすべきであります。

いま、すぐそこで尊い平和が揺るがされています。

守るために何をすべきか。

平和を維持するということはどういうことなのか。

被爆者団体が一つにまとまれないのはなぜか。

 

そういう事実を目の前にして、

人間の業について思いを馳せる一日でした。

あらためて考える、被爆75年の日本。

どうか、世界の安定が続きますように。合掌

 

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ワタシの専門なので断言しておきます。

記憶というのは、実に適当なものです。

 

子供の目にどう写ったか、

ってのはだいたい大きくなりぬつれ思い込んじゃうものです。

 

記憶というのはドラマのようなもので、

実際のデータをつなげるには、物語化するわけです。

この物語化というのは、解釈を含むのです。

解釈というのは「多分こうだろう」ということです。

そして、この「多分こうだろう」は後のデータによって

あっさり上書きされます。

 

ですので、あの原爆の悲惨さというものも

実は映像の世紀の編集によって、

そうだったと思いこむことだってあるのです。

 

しかし、その時の風景。

人々の噂話し。

臭い。

水。

うどん一杯の値段。

 

こういうものは上書きされません。

それを覚えていたのは大人のはずです。

私自身も、幼い頃大人から多くの戦争話を聞きました。

語る人によって、全く違う話です。

 

楽しい冒険譚。

聞くに堪えない残酷な話。

悲惨な飢え。

絶好の金儲けの話。

 

その日とその人で内容が違うわけです。

多分全て事実なんでしょうな。

 

しかし、人類史上使われた原爆は2個。

広島と長崎。

 

青さんのおじいさんおばあさんは

その渦中にいたのです。

それが事実なのです。

 

(アフィというより、機会があったらぜひ観てね)

 

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