CHUFF!! チャフで行こうよ。

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片岡義男は不運だと思う 彼のオートバイ彼女の島

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ワタイは筋金入りの

ライダーではあるザンス。

スピードに耽溺に、キャンプツーリングに明け暮れ

たいていのトラブルには対処し、生傷も無数ザンスね。

 

しかし、オートバイに乗っている人は

実にカッコ悪いと、思い続けているザンスよ。

もっと言えばダサイと言い切って

いいのではないかと、常々思うザンスね。

 

それがなぜだかは分からないザンス。

オートバイというのは、

カッコいいもののはずザンスが、

どうにもそうではないのでガンス。

 

たまたま、こういう動画を見つけて

片岡義男の不運性を、いろいろ考えてしまったザンスね。

 

 

暇な人は、これ観るザンス。

ワタイ、公開時に劇場で観たザンスが。。

恥ずかしいやら腹立たしいやら。

大林宜彦がどんな仕事しても、

この一作がある以上全否定できる、クソ監督ザンスよ。

 

www.youtube.com

 

若き日の原田喜和子は美しく、

難波の銀ちゃんも、初々しい。

 

でね、この映画観てオートバイを好きになっただの

青春の思い出でリメイクはされたくないだの、

こんな出会いが欲しかっただの、

 

お前らの頭は虱の脳みそか

この野蛮人のぺんぺん草め!

 

まさかと思い、検索すると

デジタルリマスターまで出ているザンス。

嘆かわしい!

 

ゲラゲラ笑うために買ってもいいようにも思うが

冷静に考えたら、耐えられないのだ、この映画!

 

ライダーとして竹内力のライディングもおかしいし

原田喜和子との出会いとか、ぶん殴るところだし

セリフは凡庸をすっ飛ばして醜悪でさえある。

 

しかし、これを当時のライダーは支持したのだ。

 

私は覚えているぞ!

テメーらのドアホさ加減を!!

 

ここまで読んで、ワタイが片岡義男嫌いだと

思うかもしれないが、実が逆であるのだ。

不憫で不憫で仕方がないのだ。

 

と、ここからが本題だ!

 

片岡義男とはどういう人か、いまだによくわからない。

今や、年を取ったゲイバーのママみたいな風貌だ。

 

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ウィキとか見ても、どこまで本当か分からない。

まあ、もともとちょっと変な人だったのであろう。

 

しかし、作品は見事に乾いていたのである。

ワタイが衝撃を受けたのはこれ。

 

ラジオが泣いた夜

ラジオが泣いた夜

 

 男二人が夜の街で、カップルを襲い

女性を拉致してレイプすると言うウェットな話し。

これが実に、ドライに爽やかにと言ってもいいタッチで

鮮やかに明るく描かれているわけで。

 

どうやってもそうは書けない内容を

ここまで書ける作家がいたのかと、

衝撃を受けたのを覚えている。

その手の作品は、彼にはたくさんあり

善悪などという陳腐な評価より、

その言語のとんでもない世界に

文学として評価されるべきだったと思うわけだ。

 

これなんかに至ると、二股かけてるライダーが

ギャーギャー怒ってる二人の女を

バイクで出かけて行って、それぞれ違う手で

張り倒すだけの話し。 

スイッチ・ヒッター

スイッチ・ヒッター

 

 それが、こうも美しい世界に変換できるのか!

そういう力があるのは、文学であって

当然現実ではない。

 

しかし、途中から彼はライダーとサーファーに

魂を売ってしまったのであるな。

そして一躍人気作家になるものの、

所詮彼らは知性とは縁のない人種。

結果として片岡義男は陳腐な物語を量産し行き詰まる。

やがて凋落して行き、絶筆に至ったりしている。

 

しかし、彼の絶頂期と言ってもいい時代に

この名作が生まれたわけであるな。

彼のオートバイ、彼女の島
 

 

ラストシーンは、片岡義男が嫌になってやっつけで

とんでもくダッサイ終わり方であるけれども

全体の空気は、実に見事に

オートバイというものを通してしか

体験できないよう、特殊な美にあふれている。

それを映像化すると、なぜかああなる。

 

まったくわからん!

 

なぜ、片岡義男はOKしたのだろう?

それに、なぜああも甘ったるいラノベのような

青春ツーリング風になる、私はカモメな世界を

ダラダラかいたのであろう?

ワタイが思うに、彼も勘違いしたのだろう。

ライダーという人種に。

 

そして、とんでもなく売れたのだ!

 

 

まさに、日本のライダーは「大衆」である。

吸いつき、執着し、消費し、飽きる。

それをやるには、片岡義男は文学的過ぎた。

それは意識していたかどうかではない。

彼のセンスは物語ではなく、

その空間を美しく描き切る、

独特の表現にあったのだな。

 

例えば、これを読んでみるとしよう。

 

町からはじめて、旅へ

町からはじめて、旅へ

 

 実に素敵な朝食の食べ方が書かれている。

それが「アメリカ」に現実にあろうとなかろうと

片岡義男は、憧れさせる焦燥感さえつくっているのだな。

 

これなんか読んだら、旅に出ると言うより

旅なるもの探して、放浪してしまうだろう。

いい旅を、と誰もが言った (双葉文庫)
 

 

片岡義男は不憫だと思う。

作家は読者を選べるのだろうか?

片岡義男は選べたはずだ。

 

しかし、そうすると

そこが彼の限界だった、とも言えるのだろう。

惜しい。

とても惜しい。

 

彼がちゃんと書いていたら、

春樹なんか出てくるスキはなかったのだと思うのだ。

 

(まあ、かなり儲けたようから、それはそれで満足かもしれんが、でクリック!)

 

珈琲が呼ぶ

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くわえ煙草とカレーライス

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コーヒーにドーナツ盤、黒いニットのタイ。

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