CHUFF!! チャフで行こうよ。

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昔の恋人って、どのくらいの関係性か再考してみた

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思い出って美しいですか?

そうでもないんじゃないですか(ニヤリ)?

 

でね、この際断言しましょう。

 

「別れたけど、今もいい友人です」

 

とか大嘘ですからね。

でもね、感情論じゃなくて

論理的に証明します。

寝言を信じたい人は、

ここでお帰りくださいませ。

 

 

 

方法論言い訳

弁証法とか演繹法とか

帰納法とかありますけど、

分かりやすくいきます。

つまりはテキトーにやるんですが、

そうそう!と共感を得られやすい手法です。

つまりは、信じてはダメだけど

説得力ある手法です。

まず身近な例を出し、共感させ

あやふやな世界に引っ張り込む手法。

 

これを唯物論弁証法といいます。

自己啓発系とかは、この手法ですね。

ではいきます。

 

症例1

陣内君は、紀香と

友人やってられると思います?

 

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愛之助さん、彼とは今もいいお友達なの」

「へえ、紀香ちゃんは、外面上手いねえ」

「だって、役者の女房ですもの」

梨園だもんねー」

N.Perfect body

N.Perfect body

 

 

とかやってるに決まってんでしょう?

まあ、紀香はそれでいいでしょうけど、

陣内君は?

 

まあ、察するだけですが

絶対いやでしょうねえ。

では、なぜいやなんでしょう?

おちついて次の症例も観ておきましょう。

 

 症例2

まあ、世界最高峰のメンヘラカップルでしょうなあ。

「彼女には幸せになってもらいたいが、関わり合いはない」

 

とブラピが言うところから察すると

意外と素直に「もうダメ」と言ってますねえ。

 

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かなり、ボロボロになって別れたようですねえ。

 

ここで、私があえてブラピなど出すのは

有名どころでぐっと

親近感を抱いてもらう手法です。

 

 

少し真面目に関係性とは

人間関係とは面白いもので、

ある関係が成立するとしましょう。

「知り合い」が「友人」へと変わった後

実は、「知り合い」には戻れないんですね。

このあたりを、真面目に語ります。

 

関係性の格上げがなぜ可能かと言うと

ある「信用」を与えたからねんですね。

なので、信用が低下するということは

関係がそれ以前に戻るのではなく、

「破壊」されたわけです。

 

つまり、「知り合い」に裏切られても

「まあそういうもんだよね」ですが、

友人に裏切られると

「そんな奴だとは思わなかった」

と敵意を持つか、無関心になるわけです。

 

このあたりまでは、みなさん普通に

経験されてるんじゃないでしょうか。

 

ここで「関係性」とは

親密であれ、冷たくあっても

ある「関係性」が築かれているのに

注意が必要です。

壊れた「関係性」は、全くの他人、

つまり無関係性の人に対するより

特殊な反応を示すものです。

 

で、恋人とか夫婦とかの場合を

考えてみましょう。

 

関係性における肉体性と精神性

関係性が親密になると、

かならすその証明を求められます。

どんな組織にも、一種の入会儀式があるのは

そのためですねえ。

一体感と、所属性を示しているわけです。

 

ライフサイクル、その完結

ライフサイクル、その完結

 

 

その証明が、肉体としても証明されたのが

衆道とかそうでしょうねえ。

あれは性癖とは呼べないわけです。

逆に性癖とは、それで快楽を得ると言うより

関係性に安心する『儀式』と考えるほうが良いでしょうね。

 

で、今の人間でも同じことです。

どのような主観的な体験をしていても、

性関係は「粘膜の密着」は事実です。

粘膜とは、人間が他者及び外界との最前線である

皮膚と言う国境の、最も薄い部分を指すわけです。

それをすり合わせると言うのは、

実に自他をあやふやにすると言う体験なわけです。

 

これを許可した場合、通常精神的な距離も

他の人とは異なるようになりますね。

たとえ、それがセフレであっても

無関心と言うわけににはいかないわけです。

 

「一線を超える」と言う言葉があるように

確かに超えてしまったわけです。

 

危険な情事 (字幕版)

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と言うことは、ある特別な関係であるわけです。

さて、ここで先ほどの「友人」との関係を

思い出すと、それを超えたものでもあるでしょう。

ならば、その「破綻」は特別な「断絶」を

意味するようになります。

激しい場合は「憎しみ」

軽い場合は「冷ややか」

いずれにしろ、「友人」となるには

無理がある、となります。

 

ではなぜ『友人』としたがるか?

何らかの理由によって、関係性を

維持しておきたい場合に成立します。

それが性的であれ、経済的であれ

維持しておきたい場合においてです。

 

例外があるとすれば、「そのふり」をすることで

争いを避けて円滑に生活する場面でしょう。

しかし、それには強固な自我が必要です。

なぜならば、もともとは密着していたのですから

そこへの葛藤は「そのふり」を維持させてはくれません。

よって、不可能ではないものの可能性はかなり低い、

と言い切って問題ないわけです。

 

とすれば、それを可能とできる人が

そんなにいないということになります。

 

ついてこれてます?

 

焼けぼっくいに火が付くのはなぜか?

LINEやFBで、同窓会後とかに

なかなか激しく燃えがるヤケボックイ。

 

あれ、なぜだか考えたことあります?

 

あれねえ、「関係性」が壊れた理由を

忘れちまっているからなんでしょうねえ。

でも、それは消えてはいません。

いつか再燃します。

この場合再燃するのは、破壊的な炎ですけれど。

 

ところが、その前にあぶりだされるものは

実に魅力的な空気を醸し出さします。

それは「かつて不可能だったことへの成就」

とでもいうべき、ルサンチマンです。

 

ルサンチマンと言う単語も

あまり一般的ではないんでしょうか?

こいつですね。

 

ルサンチマン - Wikipedia

 

まあ、簡単に言えば

心理的な意味での復讐ですね。

しかし、満たされることのない

復讐ではあります。

 

道徳は復讐である―ニーチェのルサンチマンの哲学 (河出文庫)

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まとめ 

一旦構築した関係性は

前に進むことは可能でも、

戻ることは不可能です。

 

ここを自由に行きつ戻りつできる人間は

ウソの世界にしか存在しません。

このあたりが、耐えられない人は

何らかへの欲望への抑制ができない人です。

 

 

さて、ここまで読んで

こいつなに言ってんだ?

とか、

そんなことないだろ!

とか、

まさにその通りだとか

 

思われた方いらっしゃいます?

冒頭を再読していただきたいのですが

実はテキトーなことを書いているわけです。

このテキトーな文章が、

なんらかのオピニオンのように

思われたのなら

人生いろいろ気を付けられた方が

いいと思いますよ。

 

つまり、そういうことですね。

 

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