とある場面を想定しましょう。
キャンプしているとして。
二人の前には焚き火があって。
そこでね、もし女性がこういうこと
言ったとして。
念のために言っときますけど
別に男性でもいいですよ。
言うのは。
まあ、別に焚き火の前でもなくとも
いいんですけどね。
ベッドの上だと、
生々しすぎるじゃないですか?
「私って、あなたの何なの?」
とか訊くのは。
まあ、男性がこう言っても
同じことなんですけれど。
「俺って、お前のなんなの?」
どちらでも、私の個人的には
ああ、もう、ドン引き。
間違いない言葉の第一位です。
次に、腹がたってきます。
そこで、なぜそうなるかを考えてみます。
この手の問いは、
ほぼ全てが外因によって
出て来るからだと気づきました。
「俺何やってるんだろう?」
と思うときは、極一部の例外を除けば、
大抵報われていないわけです。
お金や、見返りが。
例えば、一生、
蒟蒻しか食べられないとします。
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でも見返りが年収100億なら、
こなせる人も多いんじゃないかと思うわけです。
私できる気がします。
しかも、その答えが陳腐でよい、
という点にもむかつきます。
極端に陳腐で良いのです。
なのに、それを求められる点に
むかつくわけです。
最近というか、ここ数十年
「こどもは無限の可能性を秘めている」
とかの戯言が幅を利かせております。
あれ何なのでしょうね。
大人になるということは、
その可能性有無を自覚する事であります。
私が思うに、ある点に置いて人生は平等です。
「可能性」は確実に万人に有限なわけです。
中島義道という、
ちょっと面白い哲学のオッサンがおります。
この方、自分で
「勉強しかできなかった」
と言ってます。
出身が東大なんですが、
逆上がりは永久にできないんだそうです。
そう言えば、彼は自己啓発系に
分類されること多いんです。
それ間違いですよ。
かなり過激な思想家です。
カント哲学が専門なのですが、
座右の銘は
「私はカントと同じくらいのゲスである」
だったと思います。
確かに、かなり根性がネジ曲がった人です。
どっちかというと、あきらかに破綻者。
これとか面白いですよ。
話は戻ります。
然り、そういうこともあるでしょう。
この真逆も当然あり、
そこそこ両方できる人もあり、
いずれにしろ有限なわけです。
ここで、
「私って何?」への憤りが
登場するわけです。
そんな、アイデンティティーを
安易に求められてもなあ。。
とはいうものの、質問には答える義務があります。
私なりの答えは
「そんなに特別でもないだろう」
となるわけです。
しかし、これを言っちゃうと、
とんでもないことになりますね。
ですので、相手の望む答えを
言ちゃうわけです。
それなりに。
ということは、
この質疑が行われた瞬間、
そこには欺瞞が満ちるわけです。
その苦痛との同居も始まるわけですな。
こ言う場合、その質問自体が
実は成立していないのです。
論理的には。
最近、高橋和巳を再読したので、
言葉の純度について考えております。
今、別の答えが浮かびました。
それは
「俺が知ってるわけがない!」
さらなる修羅場を踏むであろう、
純度の高さに目眩がしてまいりました。
これがね、焚き火の前ならどうなるんでしょう。
二人の前には炎。
その明かりが途切れる先には闇。
彼女の瞳は巨人の星。
もしくはこっちの巨人の星。
さあ、困りましたね。
そんなときはね、男でも女でも
こう言っときゃいいんですよ。
「月が綺麗ですね」
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