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中秋に思うウサギの選択 青さんの帝釈天はどうよ?

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ウサギが月にいる。

そのお話しの元ネタをご存知ですか?

今年の中秋の名月

9月24日となります。

 

今のうちに、なぜウサギが月にいるのか?

を考えてみましょう。

 

なかなか深淵なものがそこにあるんですねえ。

自己犠牲というものは最終手段という、

青さんの帝釈天がらみのお話です。

 

ではさっそく!

 

 

=======

 


白露の候、

皆様いかがお過ごしでしょうか。 


今日の長崎は

冷たい雨が降っております。

いよいよ秋めくこの頃、

体調管理にはくれぐれも

お気をつけください。 

 


さて、大人らしく

時候の挨拶も済ませたところで

本題であります。

今回は「月のうさぎ」であります。 

仏教説話にあるんですけどね、

これがどうにも合点がいかぬ。

そんなお話をいたします。 

 

まず、前提として。 

人を試すものはろくなものではない 

これがあります。

神だろうと仏だろうと、

一切の例外はありません。

人を試すということは、

人を疑うということです。 

 

 まんじ

 まんじ

 

 

 

生きとし生けるものは

そうしても仕方がありません。

生きるというのは

そういうことです。 

ただね、

今回の場合は

超越者なんですよ。

人間ではありませんので。

試すなよ!と。 

試した時点で「よ、ご同輩!」

でありまして、

拝む気持ちにはなれません。 

wikiから転載しますが、

月のうさぎの寓話はこんな話です。 

 

猿、狐、兎の3匹が、山の中で力尽きて倒れているみすぼらしい老人に出逢った。3匹は老人を助けようと考えた。猿は木の実を集め、狐は川から魚を捕り、それぞれ老人に食料として与えた。しかし兎だけは、どんなに苦労しても何も採ってくることができなかった。自分の非力さを嘆いた兎は、何とか老人を助けたいと考えた挙句、猿と狐に頼んで火を焚いてもらい、自らの身を食料として捧げるべく、火の中へ飛び込んだ。その姿を見た老人は、帝釈天としての正体を現し、兎の捨て身の慈悲行を後世まで伝えるため、兎を月へと昇らせた。月に見える兎の姿の周囲に煙状の影が見えるのは、兎が自らの身を焼いた際の煙だという。 

 

帝釈天とはインドラです。

ラピュタででてくる「インドラの矢」のあれです。 

 

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この仏はね、ちょっと

いろいろ問題があるんですよ。 

大好物が他人の嫁さん。

阿修羅の親方の娘を

陵辱した挙げ句嫁さんにしたとかね。

 

もう、こんなものを

本尊にしている寺で産湯を使ったら、

きっとフーテンに

なってしまうことでしょう。 

 

 



私が申し上げたいのは

そういうところじゃないんですよ。 

帝釈天ふんする老人は、

お腹すいてたわけです。

そこに魚と木の実が既にきたわけです。

 

老人でしょう?

十分な量の食事ですよ。 

ウサギが提供すべきだったのは、

自分の丸焼きだったのか?

 

ここですね。

私はちょっと、

違うんじゃないですか?

と異論を唱えたいわけです。 

魚を食べ、木のみを味わい、

お腹が満たされた後は眠りでしょう。

そこにこそ、ウサギの出番が

あったのではないかと思うんですね。 

もふもふでホカホカ。

 

老人の懐に潜り込んで、

暖を与えたら良かったのに。

マジのアニマルセラピーでしょ?

 
自分が損しないと

人の役に立った気がしない

というのは、我が国では

ずいぶん一般的であります。

 

しかし、これは病気です。 

 


本人にとって

捨てるものであろうと、

それで助かる人にとっては時の氏神。 

 

無論、損してまで

手伝ってくれた方の恩には

報いなければなりませんが、

いちばん大事な助っ人は、

こちらの欲しいものを

余剰として持っている人でしょう?

 

ウサギは老人の懐で

眠るだけでよかったんだ。

何も、火に飛び込まなくても。 

状況判断と、正しい自己評価。

あとは、それを根拠を持って

実行する理論構築が大事なんですよ、と。 

 

私が「月のうさぎの仏教説話」から

受け取った教訓は、この通りであります。 

自己犠牲が美しいのは

間違いありませんが、

最後の選択肢ですからね、それは。 

もっといい手はないか、と。

ギリギリまで頭をつかうことで、

意外な解決策は

あるのではないかと思った、

秋の宵でありました。了

 

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私が思うにですが、

自己犠牲ってのは、

相手を黙らせることができます。

それ以上何も言われなくていい。

 

これね、自分自身へのテロです。

結局相手は利益を得るんですが、

提供側は精神的満足を得ながら

多大な損失を出すわけです。

 

でね、そのうち忘れるんですよ。

もらった側も。

まあ、勝手な話といえばそうですが、

人間の脳はそうなってるんですね。

ですから、恩返しは「奇特な話」

となるわけです。

 

当たり前のことは「奇特」にはならないわけです。

 

ここ大事ですよ。

きっとあるはずです。

自己犠牲以外のやり方が。

 

ただねえ、高揚感あるんだと思います。

自己犠牲は。

ウサギは「男を見せた」ってことじゃないでしょうか。

べつにウサギがメスでもこの場合「男」です。

ジェンダーのことじゃないですよ。

行動の性質が男性性的ということです。

 

(ここ難しいかとおもうけれど、たまには脳みそ使いましょうね。でクリック!)

 

 

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