CHUFF!! チャフで行こうよ。

もう、何でもありです。ヒマつぶしにどうぞ。

CHUFF!!ってのは、「おっ、なんかいいよね!」って意味です。チャフっていきましょうよ!

尻を休める! その6 青さんのオートバイへの道

f:id:gemini-yahata:20180429230944j:plain

アトミックな空間で、

つかの間の炎を燃やした青さん。

chuff.hatenablog.com

 

さて、日本史上の一瞬だけ、

九州にその中心があった時期がありました。

 

現代社会をエネルギーで考えたあとは、

悠久の歴史の視点から、思いを馳せます。

 

実は社会派ブログのチャフ

では、さっそく。

 

 

==========

 

玄海エネルギーパークを出発。

走り出せば、風は心地よく。

 

次の目的地は名護屋城跡。

一年ほどですが、

日本の中心だった場所であります。

 

言ってる事わかります?

ここに、いわゆる首都があったわけです。

どの時代だって?

 

朝鮮出兵のときですよ! 

文禄・慶長の役 - Wikipedia

 

我が国の歴史上、

多分一番イケイケなときかもしれません。

 

いったん佐賀県道301を北上し、

波戸岬を目指します。

ロマンチックなハート型の

オブジェがあるそうですが、

私にとってハートはただの

循環器内臓模型であります。

 

海が見たいわけではなく、

その道筋にある陣跡を

走りながら見て回りました。

 

名護屋城というのは、

唐入りのための前線基地。

周辺には、

大小の大名が兵を伴って

陣張をしていたそうです。

 

今で言うと、

軍隊をひきつれた、

大使館の集まった街ですね。

連合軍の軍事都市。

それが、今となっては

ただの藪です。

往時を思いながら走っていると、

不思議な感じがしてきます。

 

 

海を渡った人数が20万。

ここに駐留していたのが10万人。

 

バイクで走ると

あっという間の範囲に、

いまの唐津市民と同じぐらいの

人数が生活していたわけです。

 

一年ほどの期間ですが、

我が国の中心があった場所。

今視界に入るのは、

藪と畑だけです。

 

海が見え、

国民宿舎波戸岬の駐車場でUターン。

ちなみに、ここも

増田長盛」陣跡です。

 

案内看板にしたがって走っていくと、

名護屋城跡につきます。

佐賀県名護屋城博物館の

立派な建物が目立ちますが、

城跡は反対側。

 

f:id:gemini-yahata:20180429231330j:plain

 

 

 

f:id:gemini-yahata:20180429231340j:plain

 

想像していたよりも、

かなり大規模でした。

考えてみれば当たり前の話で、

ここが外征の最も重要な拠点です。

秀吉もしばらく

滞在しておりましたし。

 

当然、それなりの規模である

必要があったわけです。

城そのものも

立派なものであったでしょうが、

周辺一帯がまるごと

軍事都市だったのだろうな、

と思います。

 

写真は撮れたけど…

行くべきでしょうねぇ、天守跡まで。

 

ライディングブーツと上り坂。

いつものように相性の悪い

組み合わせで進んでいきます。

 

f:id:gemini-yahata:20180429231403j:plain

 

平戸城でちょっと空振りだった

お城の花見(桜)ですが、

chuff.hatenablog.com

正解は名護屋城

だったのかもしれません。

 

太い幹と立派な枝振り。

ここの桜は豪奢だったろうなぁ。。

 

来年はここにこよう。

メモ帳に記録して更に進みます。

 

焦げるような日差しを遮るように、

広葉樹の葉が木陰を作っております。

 

f:id:gemini-yahata:20180429231419j:plain

 

歩きやすい高さの

石段ばかりではありませんが、

城があった頃の風景は

空想しやすくて。

 

立ち止まり、振り返り、

見渡しながら歩いていきます。

 

やがて、さっと開ける視界。

ようやく上り終わりました。

 

f:id:gemini-yahata:20180429231437j:plain

 

 

石柱の辺りに、

天守閣があったそうです。

名護屋城は秀吉の死後、

役目を終えて破却されたのですが、

資材は唐津築城の際に

流用されたそうです。

ほとんど移築だった、

のかもしれませんねぇ。

 

一国一城令の兼ね合いも

あったのでしょうが、

残っていればさぞ勇壮な城

だったと思うと、惜しいことです。

 

いま、天守跡から見える風景はみどり色。

九州の海岸にいくらでもある風景です。

 

しかしここに、

かつて間違いなく、

10数万人が暮らす都市があった。

この規模の凄まじさは、

だいたい同じ時期の

博多の二倍というと

おわかりいただけるでしょうか。

 

そんな大都市が、

今はただの雑木林です。

 

f:id:gemini-yahata:20180429231450j:plain

 

そこに財と権力があれば、

都市は勝手に出来上がり、

なくなれば消えてしまうんでしょうねぇ。

 

是非は置くとして、

先程立ち寄った

玄海エネルギーパークのことを

思い出しておりました。

なにか、重なるものがあるような気がします。

 

 

しばらく感慨にふけっておりましたが、

暑い。

そして腹が減りました。

 

今しっかり思い出しましたが、

12時の鐘を聞いたのはここです。

玄海エネルギーパークでは

ありませんでした。

 

そうだろうなぁ、

あのお嬢さんとの語らいが、

1時間以上だったはず無いものなぁ…

 

回る場所も時間も多すぎて、

いろいろ記憶が混乱しておりますねぇ。

 

とりあえず次の目的地にいこう。

駐車場に戻る道すがら、

声の大きなおじさんグループに遭遇。

 

方言のきつい人たちだと

思っていたんですが、

 

どうやら日本語ですらなかったようです。

 

どういう理由でここに来たのか。

佐賀県名護屋城博物館の中に、

日韓交流云々ということが

書いてありましたから、

その関係なんでしょうか。

 

好みの問題はあるでしょうが、

博物館の方には

いかなくても大丈夫です。

見るべき展示物は、

在りし日の名護屋城

周辺のジオラマぐらいのもんです。

個人的に面白かったのは、

宗氏が偽造した国書ですね。

内容も良いんですが、

偽造した国書の複製品が

展示されているという可笑しみに、

おもわずクスリときました。

 

ちょっとトイレを済ませ、

次は唐津

再びの虹ノ松原と、鏡山です。

昼飯はまぁ、あそこかな?

chuff.hatenablog.com

==========

 

博多という街は、

外国との接点として、

比較的早い時期から

都市化が進んでいたはずです。

 

その人口の二倍ですか。。

今で言うとどれくらいでしょうねえ。

人口が当時の約4倍ですから、

まあ、仮設の都市ですが、

50万くらいの都市が、

あっという間にできては消えた、

ってことなんでしょうね。

 

全てはうたかたの、夢まぼろしですねえ。。

 

観光ってのは、歴史を知らないと、

面白いものではないですよねえ。

知ってれば、何倍も楽しめるものです。

 

(敦盛って知ってる?織田信長が死ぬ前に舞ったという、あれ。誰見たの?でクリック!)

 

敦盛 (対訳でたのしむ)

敦盛 (対訳でたのしむ)

 
観世流二十五世宗家観世元正監修 観世流謡曲名曲撰(6)敦盛/賀茂

観世流二十五世宗家観世元正監修 観世流謡曲名曲撰(6)敦盛/賀茂

 
遙かなる時空の中で3 天の玄武 平敦盛 (1/10スケールPVC塗装済み完成品)

遙かなる時空の中で3 天の玄武 平敦盛 (1/10スケールPVC塗装済み完成品)