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アーネスト・サトウを知ってるかい? その8 ヴェニスで眠りたい

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さて、アーネスト・サトウの話も、

ずいぶん長くなってきました。

chuff.hatenablog.com

いい写真を簡単に撮りたい、

そんな人には、がっかりさせたかもしれませんね。

まあ、そんな話はよそで探してもらいましょう。

 

そろそろ、いったん終わりにします。

今回は、アーネストの妻である、

佐藤年さんのインタビューをまとめてみます。

同時に、アーネストの写真集から、

いくつか抜粋も。

 

例によって、文献はこちら。

芸術新潮 1999年 06月号 [特集 カメラ好き集まれ!]

芸術新潮 1999年 06月号 [特集 カメラ好き集まれ!]

 

この中で、キュレーターの福のり子さんが、

年さんに行ってるインタビューからです。

 

福のり子さんとは、当時イケイケのキュレーターで、

ニューヨーク近代美術館からキャリアを始めた、女傑です。

今は、大学の先生やってるみたいですね。

www.kyoto-art.ac.jp

 

20世紀の終わりころ、

相当尖がっていた人です。

その福さんが、アーネストの妻である

佐藤年さんに、いろいろ聞いているのです。

見事なインタビューです。

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アメリカ時代のアーネスト

興味のある方は、上の雑誌に載ってますので、

詳細はそちらがよいかと。

 

私が興味を持ったのは、

アーネストの、あらゆる人への、

対等な意識でした。

目上でも、目下でも、基本丁寧な敬語。

アーネストが病気になった時も、

彼は医者にこう言います。

 

「あなたは威張ってはいけない、我々は平等だ。あなたは僕の病気を治してくれて、僕は一生懸命あなたに協力して病気を治そうとします」

 

当たり前のこと言ってるようで、

これすごいこと言ってますよね。

実現できたら、実に素晴らしい。

いい治療関係が結べたでしょうね。

この平等意識は、

時にアーネストを窮地に追い込みます。

年さんはアーネストに

 

「日本で写真家として活動するなら、写真家協会に入り、

重鎮の大先生への挨拶まわりをしなさい」

 

と言うんですが、

アーネストは納得しないわけです。

 

「なんで、頭を下げなきゃいけないの?僕らは平等だろう?」

 

って感じで。

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左1963広島 右1965四国

徹頭徹尾、モダニストなわけです。

これ、アメリカ流とも違うと思います。

前回書いた、モダニズム

哀しさのような気もします。

 

彼が大学人になってからも、

そのモダニストとして、周囲と衝突します。

 

ある予算会議で、機械購入費が

予算10万だと言われたわけです。

アーネストは10年予算要らないから、

今年100万くれと言うんですね。

 

その理由は、オメガ(!)の、

引き延ばし器が100万だったからなんです。

オメガなら確実に10年はもつ。

そして、学生は

「世界にはこんな素晴らしいものがある」

と知ることができると。

もちろん、大紛糾です。

「学生には、安物でいいじゃないか」という人に、

アーネストは激怒します。

 

「僕は、自分の知っていること、すべてを教えたいんだ!その結果どうするかは学生自身の選択だ。でも、学生だから安物でいいってことは、絶対ないんだ!」

 

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1976 京都 「雪の若草」



 

そんなアーネストですから、

周囲も心配するわけですね。

年さんも、俵屋の女将ですから、

世間の、そんなことよくわかるわけです。

結果、アーネストは冷遇された、

とも言えるでしょうね。

それでも、彼の授業は常に満員だったそうです。

 

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Three Birds 1957 New York

年さんが、アーネストから学んだことは、

常に最高のものを見ること、だそうです。

 

最高のものを見ないと、下のものが分からない。

下だけ見ていたら、上は絶対に見えない。

これは視野の広さだと思うの。

これが彼に教えられた非常に大きなことです。

 

これ、本当にそうですね。

1999年の雑誌ですけど、

今の時代にも言えることだと思います。

 

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アーネストの書斎

アーネストは、多くの芸術家が眠る、

ヴェニスサン・ミケーレ島の墓地に、

葬られたかったようです。

ここには、ストラヴィンスキーも眠っています。

 

 

祖国を失った、多くの芸術家が眠る島。

やがては地盤沈下で海に没するヴェニス

 

しかし彼は、京都に眠っています。

 

ハーフとして戦前に生まれ、

戦後アメリカにわたり、

日本に「来日」した。アーネスト。

異邦人として苦悩しながら、

モダニストとして、

精神と肉体をボロボロにしていった、

アーネスト。

 

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ずいぶん長いおしゃべりを

してしまいました。

ある時期の、この日本に、

彼のような芸術家がいたのです。

それが私にはとても嬉しく、

また哀しい話であると思います。

そのことを少しばかり、

お伝えできたのであれば、幸いです。

 

さて、またいつもの、

ふざけた記事を書こうと思います。

ありがとうございました。

 

(いやホント、この写真集は手に取って見ていただきたいですね。で、クリック!)

 

Y.アーネスト・サトウ写真集

Y.アーネスト・サトウ写真集

 
Y. Ernest Satow

Y. Ernest Satow

 
芸術新潮 1999年 06月号 [特集 カメラ好き集まれ!]

芸術新潮 1999年 06月号 [特集 カメラ好き集まれ!]