カモメといえば、ジョナサンと答える。
そんな時代がありました。
今読んでも、なかなか新鮮ですよ。
私は、第二部は説教臭くて好きになれませんが、
第一部は大好きです。
なにか、激しい高揚感で満たされます。
踏ん切りをつけたいときとか、
えいや!と行かねばならない時、
勢い付けには良い書物です。
とはいえ、
もう既に過去の遺物ですので、
ご存じない方もいらっしゃるでしょう。
ざくっとウィキより引用しましょう。
主人公のカモメ、ジョナサン・リヴィングストンは、他のカモメたちが餌をとるためにしか飛ばないのに対し、飛ぶという行為自体に価値を見出す。そして、どこまで低速で飛べるか試してみたり、どれほど低空を飛べるか試した。ジョナサンは、食事をするのも忘れて飛行の探究に打ち込んだために、「骨と羽根だけ」の状態になっていた。あきれて注意する母に、彼は、「自分が空でできることは何で、できないことは何かを知りたいのだ」と説明した。さらに、時速数百kmという高速で飛ぶことを探究するために、高高度から急降下する危険な練習を重ねた。
この辺りまでは、実にいい。
五木寛之訳となっていますけど、
下訳は用意されてたんですね。
後に説教臭くなって「大河の一滴」
とかやる五木寛之は、まだ見えません。
彼ねえ、結局大した事ないですよねえ。
一体どういうポジションだったんでしょう。
結論としては、クルマ好きなポルシェが似合う作家。
それ以上でもなかったような気がします。
これもどうってことないですしねえ。
ジョナサンの、とにかく突き進むエネルギーに、
読んでいるこちらも高揚します。
そしてこうなります。
だが、それらの奇行を見とがめられ変わり者扱いされ、ある日のこと、群れの「評議集会」に呼び出され、長老から"無責任"などと決めつけられ、カモメはただ餌を食べ可能な限り長生きするために生まれてきたのだ、などと言われる。そこで、ジョナサンは生きることの意味や、より高い目的を発見するカモメこそ責任感があるのだ、と群れのカモメたちに考えを伝えようとするのだが、理解されず群れ社会から追放されてしまう。追放されて一羽になっても速く飛ぶための訓練をやめないジョナサンの前に、2羽の光り輝くカモメが現れ、より高次なる世界へと導いて行く。
なんか、急にスピリチュアルな物言いですねえ。
このへんまではまだ読めます。
第二部はこうなります。
「目覚めたカモメたち」の世界でジョナサンは、より高度な飛行術を身に付けたすえ、長老のチャンから「瞬間移動」を伝授されることになる。そしてある日、弟子を連れて下界に降り、カモメの人生は飛ぶことにあるという「思想」を通常カモメに広めようと試みるが、下界のカモメからは悪魔と恐れられるようになる
ここまでくると、ああそうですか。
となるので、読まなくていいと思います。
自己啓発好きな人は、まあいいんじゃないですか。
露骨にヒッピーの世界です。
スピリたい人、結構多いので
逆にウケるのかもしれませんけど。
しかし、白眉である前半は、
あのサン=テグジュペリの、不朽の名作
「夜間飛行」を思わせる、ストイックな空の世界があります。
新訳もありますけど、堀口大学の訳に触れていただきたいですね。
なんと日本語は美しいのか、と思いますから。
答えは的確に、そして深淵に。
まあ、何を言っているのか分からなくなってきましたけど。
五木寛之読むくらいなら、車をテーマにした作品なら、
こっちのほうが好きですね。
ここには、「横浜」じゃない「ヨコハマ」があります。
まだまだ寒い日が続きますからねえ。
読書でもどうです?
(で、記事の題名は?知りませんよ、そんなこと。わかっちゃつまらないので、クリック!)