人間がハッピーであるということは何なのでしょうか?
アドレナリンとドーパミンによる、
脳の一時的状態なのでしょうか?
それとも、真にハッピーなるありようが、
私たちの可能性としてあるのでしょうか?
焚き火の男と私は、
コーヒーを飲みながら、
その可能性を探求してゆくのです。
オリジナルはこちら
ご協力 #神戸市灘区水道筋商店街 #丸杉商店のミカさん
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その1 その2 その3 その4 その5(シリーズでどうぞ!)
お刺身の話を伺いに八百屋さんに行き、
まさかの人生を諭される展開であったわけです。
こんなこと、あるんですねえ。。
焚き火の男と私は、水道筋商店街横路地の奥にある、
水出しコーヒー店のあんごさんに移動。
こういうのある、古い落ち着くお店です。
焚 「いやあ、面白かった。ミカさんの笑顔は、ホントにいい笑顔だったな!」
私 「どうなるかと、正直思ったな」
焚 「お前がビビり入ってるの、正直笑ったな!」
私 「でもな、結局のところ、みんなハッピーに終わったわけだ」
焚 「そう!それはオレも思った。ミカさんも嬉しかったと思うな」
私 「オレも嬉しい。野菜も買ったしね!」
焚 「魚も買った!!」
私 「なんというか、こう、伝わってゆく楽しさってあったと思わないか?」
焚 「そうなんだよ。オレもそう思ってた。関係者みんな笑顔だぜ。大体さ、刺身の話を聞きに行ってるって、失礼ちゃあ失礼かもしれんのに」
私 「そこもあって、ネクタイ締めてた!」
焚 「そこなの?うひゃひゃや」
私 「そういう所大事ですよ。なにしろ、礼儀ですからね」
焚 「見るべきものは」
私 「その人、ですからね。ふふふ」
焚 「なんかさ、そういうのって、チャフっぽくねえ?」
私 「ぽいぽい」
焚 「もしかして、そういうのやりたくてチャフをイメージしたの?」
私 「うーん、そうかもしれんなあ」
焚 「あのさ」
私 「なんだ?」
焚 「もうさ、CHUFFって、オレの中で始まってる!」
私 「始まったか!」
焚 「始まってるねえ」
私 「じゃあ、レイコーだけど、乾杯しようぜ!」
焚 「ミカさんに!」
私 「ミカさんに!」
かんぱーいい!!
(いったん終わり)
焚 「あのさ」
私 「なんだ?」
焚 「早く帰って、その魚で一杯やろうぜ」
私 「いいねえ、そういうの」
焚 「じゃあ、CHUFFにも」
私 「なんか照れるな」
焚 「うへへ」
私 「うひゃひゃ」
かんぱーいい!!
(おしまい)
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こう改めて考えてみますとね、
ハッピーという状態は、
以下の条件が必要な気がするんですね。
① 無害であり、有益であること
② それを共有する他者がいること
③ 他者との関係が、友好的であること
④ その行為に無関係な人間も、それを楽しいと思うこと
まあ、これら4項目が達成できていれば、
ハッピーな気がします。
と考えればですけどね、
難しいですよ。
ハッピーであることは、一種の奇跡なのかもしれません。
でも、否定するより、
あると考えたほうが、
俄然楽し気もしますけどね。
(ハッピーって、なかなかのものだよね。毎日ハッピーでいたいなあ。だからクリック!)