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大真面目にレイプについて考えてみよう その4

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悲しいことに、このテーマは需要が高いようです。

検索から入ってくるアクセスで、常に上位にいます。

それだけ深刻なテーマですので、

いつものように気軽な散文というわけにはいきません。

 

主観にとらわれず、軽い正義感にも走らず、

人間の歴史の中でレイプとはなんなのかを、

真摯に考えていきたいと思います。

 

そうやって、物事を再考していゆくと、 

あなたも私も、レイプの被害者である可能性が出てきます。

それと同時に、加害者である確率も、少なからず出てきます。

このパラドックスを考えたい方のみ、先を読んでください。

軽くはないと思います。

 

 

 

歴史を追う

レイプを考えるのですから、その歴史を考えねばなりません。

教科書は「その1」「その2」でも使った、この本です。

 

強姦の歴史

強姦の歴史

 

 前回までは、前半を参考にして、筆を進めました。

中盤からの、19世紀初頭の「強姦」の法的な展開と、

人間の精神の急激な変化を追ってゆきます。

 

フランスの資料ですが、問題ないと思います。

フランスは民主主義を世界で初めて達成した国家です。

現代国家はそれを主軸としておりますので、

早晩、その流れと同じことが起こるからです。

これは、強姦とて同じことです。

その1で、レイプ(強姦)という概念は、

フランス革命から始まったと書きました。

chuff.hatenablog.com

その後の変遷を、まとめてゆきます。

 

損害から、尊厳の破壊へ

何でも分かったつもりにならず、

人間の思想、「常識」を真面目に追っかけると、

たいてい話は難しくなってゆきます。

それはこの本とて同じことです。

ですので、大真面目に詳しく書いても、

とても読めないブログになるので、

かなり大胆に端折ります。

 

「辱めを受ける」という言葉がありますが、

これは現代的言えばレイプのことです。

同時に、レイプに限らず、

精神的苦痛を受けた場合にも使用します。

しかし、その精神的苦痛というのは、

いつ始まったのでしょう?

この本の中では、人間の「精神的苦痛」の存在に、

多くの議論があり、多くの裁判が関係してきたことが、

正確に書かれています。

 

詳細は次回に書こうと思うのですが、

「精神的苦痛」という概念そのものを、

ある時期に人間が発見した、もしくは創造した、

と考えてください。

傷ついた人を。「傷ついた」と認めることが、

いかに困難なのかは、想像を超えた世界です。

 

それまで、誰かの「損害」でしかなかったレイプが、

レイプされた人の「尊厳」に対する罪である、

と意識されたのは、実は19世紀初頭あたりです。

それまで人間は、

そのことを考えることさえできなかったわけです。

 

では尊厳とは何か

今では当然のことですが、

私たちの個々の肉体は、私たち個々の所有物です。

意識に対して反する、他社からの強制は受けるべきではありません。

しかし、それほど私たちが意識する「自分の意志」は

確実性の高いモノでしょうか?

 

例えば、ちょっといいバーに行けば、

ロマンティックなムードに包まれます。

初めてならなおさらでしょう。

そこに連れていかれる、ついてゆく、

それらは明確な「意思」によって

なされているのでしょうか?

 

「それならそう思われても仕方がない」という状況は、

私たちのごく自然な反応なのでしょうか?

 

通常、他者が誰かを支配する方法は、

暴力には依らないと思います。

さまざまな甘言、思わせぶり、暗黙の脅迫、

様々な形態をとります。

すべての人が、これに対して、

確固たる意志を示せるものでしょうか?

 

残念ながら、

現実ではそうではありません。

そして、驚くべきことに、

法律でさえ、

理論上でさえ、

この「意思」は不明確なものです。

 

だとすれば、それに対する「尊厳」とは、

机上の空論を超えて、「あるはず」

くらいのものでしかありません。

 

私の意見ですが、「尊厳」を説明するならば、

良識的に考えて、

「そりゃそうだろう」と言えること、となります。

なんと、いい加減というか、

不安定な言葉なのでしょうか。

 

しかし、現実に行動としての性行為があり、

それが良識的かどうかは、誰が決めるのでしょうか。

答えを言ってしまうと、

誰も決められないということになってしまいます。

 

そこで最も大切なことは

 

「私が決めるのだ!」

 

ということになります。

そして問題は、この「私」について、明快なのか?

というテーマに移ってゆくのです。

 

 

まとめ

レイプを考えるということは、

「私」というものについて考えるというところまできました。

ややこしくなり始めているので、

サクッとまとめておきます。

 

ものすごく簡単に言うと、

 

人間は自分がやったことに、

それほど自分で判断できたわけでもない、

ってことです。

 

しかし、どこまで判断したのか、

もしくは、しようとしたのか、

それが、「尊厳」の礎であることは確かなのです。

 

尊厳についても、理論で導かれた概念ですので、

その後変化をとげてゆきます。

 

その5につづきます。

 

(書いてて、こりゃわかんねえだろ、とは思ってました。うーむ難しいなあ)

 

 

西田幾多郎 無私の思想と日本人 (新潮新書)

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世界の歴史 22 近代ヨーロッパの情熱と苦悩 (中公文庫 S22-22)

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ベスト・オブ・O.ヘンリー [英語版ルビ訳付] 講談社ルビー・ブックス

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