いま、この店はもうない。
閉まって二年になると思う。
店舗そのものは残っているが、ポストも封印されている。
年老いた姉弟らしき家族経営のお店だった。
最初、入った時には、普通にざるそばを注文したのだけれど、
他の客は、不思議な呪文のような言葉で注文していた。
「ザルショウタマゴ」
これを、皆が皆言うのだ。
出てくるのは、小さな器に入った白米とお漬物、不細工な卵焼きとざる蕎麦。
「ザル、ご飯小、卵焼き」というわけだ。
次に行った時、私も言ってみた。
「ザルショウタマゴ」
卵焼きは、そば湯で溶かれていてほんのり甘く、
ご飯を食べながらお漬物をかじると、手漬けと思われる塩加減で、
口の中がなんとなく幸せになる。
それを食べきってから、お蕎麦を食べる。
少し甘目のつゆが、全体を優しく包む。
最後に、そば湯で汁を割って少し飲み、お勘定というわけ。
この近所に住む、旦那衆と呼ばれる自営業者の初老の男たち。
彼らは、それをすっと行って、長居をしない。
その短い間に、相場の動きや、情報を交換していた。
わたしも、たまたま耳にした事で、何度かその恩恵を受けた。
そばは、生そばで、十割だった
喉にも絡まず、そのまま喉の奥に消えてゆく。
確か値段は、600円ほど。
私も十年くらいは、それを楽しんだ。
しかし、この店はもうないのだ。
いつか行こう、ではダメなのだ。
全ては儚い。
いつか、など存在しないのだ。
ある日、そばを食べに行って、廃業しましたとの張り紙を読んだ時、
自分の甘さに気づいた。
常に、次はないのだ。
あれは、もう食べられないのだ。
6歳の時の記憶ががよみがえる。
常に次はない。
次はないものと思え。
わたしの明日だって、実はないのかもしれない。
ずっと、ラストラップを走っているわけだ。
いまだ、そのままの店の看板と構えを見るたびに、
わたしはそう思う。
人の全ては、有限なのだ。
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