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悪魔について

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悪魔とは、なんだろうか。

この問に対しても、ちゃんと専門家はいる。

それは決して、宗教家でもなければ、

霊媒師系統でもない。

 

ちゃんと研究している人がいるのです。

もうね、こういう人たちの情熱というか、

ニッチなところを突いた感じというか、

学術的であればあるほど、

ネタのような気もしてくるわけですが。

 

でもねえ、いるんですよねえ。

今日はちょっとそんな人の話。

 

 

 

悪魔―古代から原始キリスト教まで (1984年)

悪魔―古代から原始キリスト教まで (1984年)

 

普通にアマゾン検索で出てくるのにも

驚くわけです。

このラッセル先生、すごくいいですね。

当時は、カリフォルニア大学の

サンタバーバラ校にいたようです。

初っ端から、甘い幻想を打ち砕いてくれます。

 

すごいですなあ。

 

これは歴史の本であって、神学書ではない。ある一つの概念が人間の心のなかでどのように発展してきたかをの研究であって、形而上的な意見を述べるものではない。

 

序文からこれです。

カッコイイですねえ。

 

私は中世の研究者であるが、数年前に十一世紀と十二世紀の悪魔の概念の研究を始めて、歴史上の祖先をぬきにしては中世の悪魔を理解することはできない、と悟にいたった。

 

ラッセルによるとですが、

もともと人間にとっての「悪」自体も

非常に不明確であって、

その「悪」を擬人化した「悪魔」ってのも、

ある時人間の歴史の中で生まれた

概念であると断言してます。

 

ここで面白いのは、

「善」と「悪」も、

もともとは分離してなかったようだという、

歴史的研究なんですね。

 

まあ、そりゃそうでしょうねえ。

旧約聖書や、古事記

または古い時代に書かれた物語、

ギリシャ神話あたりも含め、

 

もう、なんでもありですからね!

 

よって、ラッセルはキリスト教に根ざした

倫理学」にも、相当懐疑的です。

 

倫理学のみかけだおしの煩雑さにおちいらないよう、慎重に気を配ったつもりである。合理化には限度がない。悪魔でさえ、自分のしていることは正しいと自分にいってきかせたかもしれないのである。

 

まあ、そうですよね。

大体の善意ってのは、悪意とセットです。

 

ラッセルの意見は、人間の意識の成長

における三段階をベースにしています。

① 未分化な混乱しかない状態

② 「善」と「悪」の分化による「悪」の抑圧。

③ 「善」と「悪」の意識下での統合

 

これを神と悪魔に応用するわけです。

 

① わけわかんない神様登場

② 悪魔をやっつける神様になる

③ 神と悪魔は実は一対セットになる

 

まあ、分からんでもないです。

でも③はもうなってんじゃないですかね。

ただし、この本が書かれたのは

1984年ですから、仕方ないかもしれません。

 

ラッセルは、膨大な宗教の歴史の中で、

ある時期までは「神」は

よくわからない存在として、

無茶苦茶やってることに着目しているわけです。

 

 

ここまで書いてふと思ったんですけど、

 

これ全く需要ないですよね!?

 

まあ、どんな分野にでも、

如何程かのシノギはあった時代は、

デジタル以前だと思ってもらえればいいです。

 

富も知識も、

元々あるところに集まり、

ない場合は、

ドン臭い人が増えるってことなのでしょうか?

 

うーん。

なんか、今日は脳が冴えませんねえ。

 

(まあ、そう言う日もあるさってことで。外は嵐みたいだしね。春分でクリック!)

 

 

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