古の昔より隠者というものは庵を結ぶものである。
代表格は吉田兼好であろうか。
この人の現代文訳は、とってもヒップでクールです。
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鴨長明でも良いなあ。
世の無常感じながら、庵を結び、
日々感じることを書き散らし、
全然興味ないもんねー、と言いながら、
推敲に推敲を重ねた名文は、何百年といきているわけです。
江戸時代の代表は松尾芭蕉。
明治以降では、尾崎放哉とか山頭火でしょうか。
そこでふと疑問が生じるわけです。
なんで残ってんの?
まず彼らは、生活の不安のない立場であること。
無常観を味わい尽くすタイプですね。
どうも、この余裕がないとダメですね。
彼らねえ、基本労働しないわけです。
田舎であれば坊主は、実は地主でもあるわけです。
なので、無常を嘆く時間はたっぷりあるんですねえ。
山頭火とか、尾崎放哉もそうですね。
労働は趣味みたいなもんです。
として面倒見てくれるわけです。
これも能力次第ですが、嘆く余裕ありますねえ。
そして、だいたいが川のそばとか、
山の中に隠れ住むわけです。
そこで何をやるかと言えば、
今のネットと同じで、情報発信なわけです。
「ああ、この世はつまらない」とか。
「ああ、この世は無常である」とか。
よく考えたら、知識と才能のある、ポエマーな気もしてきました。
詩人は「ポエット」だよ!とか突っ込むんじゃないですよ。
わかって言ってんですから。
あと、彼らは世を捨てた割には、
案外細かいことを気にしているようです。
「最近友達も遊びに来てくれなくなった」とか。
「昔あんなに面倒見てやったのに薄情だ」とか。
そういう悩みを何百年も鑑賞できる文章にするのは、
並大抵ではありませんね。
しかも、当時は大抵危機的な時代です。
方丈記の頃、日本は大変な時なんですね。
遷都、大火、地震、すごいもんです。
その時に、嘆いているわけですから、余裕綽々ですね。
でもね、いいんです。
心に残る作品というのは、
そうやって生まれてくるんです。
そうなると、誰かが残してんですね。
徒然草も、世に出るのに百年かかってるそうです。
まあ、同人誌的に、みんなに送ってたんでしょうね。
それが残ってたと。
実は千載一遇のチャンスと言っていたそうですね。
まあ、そうでしょうねえ。
あの頃、ピカソ自体はもう早すぎる落ち目の時代です。
こう、話題性が必要でしたし、
ホットなうちに描かないと、ずれてしまうんですね。
硝煙の匂いの記憶があるうちに、
ゲルニカが登場するわけです。
今の時代も変わりません。
芸術家が自殺したりすると、
相場が跳ね上がったりしますからね。
などと戯言を書いているわけですから、
こういうのも庵を結んでいるのかもしれませんね。
と、思いながら私も生活をしているわけです。
庵を結ぶというのは、
そういう「微妙に閉じた精神世界」、
のことなのやもしれませんねえ。
(などと、愚にもつかぬこと言ってるうちが花だよね。憐憫の情で、やさしくクリック!)