何かの拍子に入る(落ちる?)ことありますよね。
トリガー。
平たく言えば「引き金」ですが。。
じゃあ、日本語でいいじゃん!
御尤もでございます。
ゴロがいいからなんです、多分。
では、さっそく。
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怪しい方との語らいは、
少ないながら経験しております。
陶酔型の危ない人は、造語を多用して早口です。
面白いですよ、私の知らない日本語が、
洪水のように押し寄せてきますから。
騙しに来る人には、
ガッチリとした事実に、
スパイス的な嘘が混ぜてあるパターンと、
カタカナ語を多用して、
脅かしてくるパターンがありました。
もっといるんでしょうが、
幸運にも会わずに済んでおります。
愉快なタイプの怪しい人は、
愉快な気分になるので、
私はきらいじゃないんですが、
騙しに来る人は恐ろしい。
私は日々、
自分は騙されるんじゃないだろうか、
と怯えてすごしておりますから、
相手の言葉をじっくり噛み締め、
なんなら確認をします。
例えばね、
本当にセールストークをしているのなら、
自分の発言を確認されることは、
面倒くさくても、
腹をたてることはないと思うんですよ。
でもね、怪しい人は必ず怒る。
私を信じられないのか、と。
失礼じゃないか、と。
でもね、本当は違うんですよ。
信じようと思うから確認し、
調べるわけで、
寧ろ真摯な態度なんですね、
目の前で色々調べるのは。
で、本題ですが、
カタカナ語を多用する人であります。
そう言うしか無い言葉については、
それはしょうがない。
でもね、ある種の人が使うカタカナ語は、
一種の虚仮威しでしょう。
そうじゃなければ不親切ですよ。
「お前がそれをそう呼ぶのならそう呼べばいいが、私に理解させるために話しているのならどうにかしろ、コノヤロー。」
心の叫びは口からは出てきませんが、
きっと表情には現れているでしょうね。
隠すつもりもないですから、私。
特定の業界内で使われるカタカナ語まで、
否定するつもりは…まぁ、あるんですが、
せめてそれを外に持ち出さないでほしいわけです。
やる気がある人を、
むやみに馬鹿にしたくはないんですが、
意識高い系が侮蔑の意味合いを持つのは、
彼らの一部が「伝えること」の
重要性を軽んじるからじゃろな、と思う次第です。
思考するための言語と、
意思疎通のための言語と。
使い分けなきゃいけませんよ。
口から、指先から、
外の世界に向かって放たれるものは、
できるだけ多くの人に、
特別な誰かに、
結局は自分以外の誰かに伝える手段であります。
それを、受け手の責任にして、
開き直ってはいかんぞな、と思うのです。
福沢先生は、あの鬱陶しく読みづらい
「学問ノススメ」を書く際、
「できるだけ平易に書いて、世の中の多くの人が読めるようにしなきゃ…」
と苦労されたそうです。
明治は凄いな、おい。
そういう工夫、努力を、
私は尊いと思います。
なので、物書きとか政治家とか、
特に言葉を商売にする人が使う
「知ってて当然でしょう」という、
大上段から来るカタカナ語を私は拒否します。
言いたいことが無いんだろうな、
と理解します。
普通の言葉で言えることを、
わざとらしくカタカナ語で
表現する人を見る機会が多い日々に、
「読みにくい」という指摘をいただく私としましても
反省の機会を得ているこの頃でありました。
了
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いいですねえ。
ええ、全くそのとおりです。
エグザクトリーです。
(これって、ルー語と変わんないよね。そう思ったあなたもクリックで業界通に!)