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ジョブスもゲイツもここから始まった 後編

 

テクストのぶどう畑で (叢書・ウニベルシタス)

テクストのぶどう畑で (叢書・ウニベルシタス)

 

 前回からの続きです。

chuff.hatenablog.com

こういうネタは、勢いのある時にやっとかないと、

間違いなく面倒になってやめちゃいそうですです。

 

なので、一気に行きますね。

前回、「声」がメディアデパイスだというお話はしました。

何回も読むだけで、記憶できると思ったら甘いですよね。

そんな都合の良いことは起こりません。

 

 

じゃあ、どうしたのかを具体的に説明します。

これが、本当に今のコンピューターと同じなんですね。

要は、ファイルをイメージするわけです。

ファイルは引き出しというファイルに入り、

部屋というファイルに入り、家というファイルに入り、

家には前庭があり、小道があり、門があり。。

その外に出ると、記憶とは関係のない現実です。

 

これを想像力だけでバーチャルにやっていたわけです。

 

言ってることわかんないでしょ?

 

私も最初は面食らいました。

ここに書いてある記憶法は、様々な流派があるわけです。

ただ、流派ごとに厳格に

バーチャルのその「記憶の館」は、

細部まで決まっているんです。

 

どこまで決まってるかというと、

庭に咲いている花の花弁の数まで決まってます。

 

いいですか、頑張ってついてきてくださいね。

「記憶の館」はバーチャルな「家」です。

門があり塀があり、当然ドアもあるんです。

その形から形質、はては階段の数から、敷石まで、

厳格に決まっているわけです。

弟子入りすると、まずこの「館」の細部を覚えさせられるわけです。

 

次に、部屋の間取り。

これは具体的に、「間取り」です。

入り口から入って、右に行って三番目のドアとか。

その部屋には名前があるわけです。

「シーザー」とか。

 

んで入ると、またいろんな棚があるわけです。

棚には名前がついてます。

ガリア戦記」とか。

そこに並べられている「本」はデータの束ですので、

順番にめくってゆくわけです。

そうすると、知りたいところに行き着くわけです。

頭の中で本がめくられるんですね。

 

なんだ、今の検索と同じじゃないか?

とか思ったあなた、それが正しい!

 

でも、これ完全に頭の中だけで、

一人でバーチャルですからね!

 

一人アルゴリズムです。

そして、新しい知識がつくと、

頭の中でその分類できる棚に置きにゆくわけです。

そうすると、ある日「館」は手狭になってくるんです。

なーに、バーチャルですから増築すりゃいいんです。

 

そしてですね、これをそこにいる坊主たちが完コピするわけです。

代々に渡って。

 

言っときますけど、

全部バーチャルですからね。

一人脳内バーチャルですよ!

 

デスクトップのこのファイルの、

その中のあのファイルの、

さらにあの中の、あれ。

 

それにモニターがないわけです。

当然ディスクもない。

「記憶の館」という想像の建築物そのものが「媒体」なわけです。

今で言えばコンピューターそのものですね。

 

そして、メディアデパイスとしての

「声」からデータが入ってくる。

そして「館」の何処かへ整理されて置かれるわけです。

これ、「声」でクラウドに保存して、

後に「館」にダウンロードしてるわけですね。

そして共有ファイルとして伝えていってるわけです。

 

次にそれだけでは弱いと思ったのか、

装飾文字で美しい記憶に残る方法も現れます。

視覚をデパイスにしようとしたわけです。

 

こういうのですね。

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ね、インパクトあるでしょう?

これも、元々は記憶にとどめるためです。

挿絵と同じかもしれません。

 

ちなみに多くの「本」には題名がなかったんです。

最初の一行がそのまま題名に。

 

実はこの名残りが、マイクロソフトのワードで保存すると、

名前が一行目のものに初期設定されている理由です。

ですので、昔の人は一行目にすべて賭けているというか、

気の利いた言葉を書く必要があったわけです。

ゲイツも、知ってたんですよ、これ。

 

ジョブスがアップルを作る前にハマっていたのは、

この装飾文字の世界なのは有名です。

彼はデザインというものを、記憶を作るデパイスと捉えていたわけです。

 

ジョブスもゲイツも、この「記憶法」をベースに、

コンピューターの世界を現実化したわけですね。

 

伝わったのかどうか、とても不安なのですが、

日本の弘法大師の記憶法も、これによく似ています。

 

実践 虚空蔵菩薩求聞持法

実践 虚空蔵菩薩求聞持法

 

 

科挙の話を読んでいると

 

科挙―中国の試験地獄 (中公文庫)
 

 彼らの記憶法も似たような感じです。

 

できるかどうかは、

また別の話ですけどね!

 

ということは、この方法は脳にとって、

最も効率が良いのかもしれません。

その技術が、西洋ではメソッドとなり、

東洋では「指南」となったようですね。

一子相伝のなってしまうわけですね。

そりゃそうです。

 

「本を読む」と言う行為は、つい最近まで

これができる人のみの、特殊技能だったわけですね。

以前お話した青山先生のお話でも、

chuff.hatenablog.com

高橋睦郎さんが、

「昔のギリシャでは『読む』という独立した意味の動詞はなかった」

と言っておられるのは、こういう流れがあるわけです。

 

となると、多くの人間は、

実は『文字に慣れていない』とも言えるわけです。

都市で育った人が、鎌の使い方に慣れていないようにです。

使えるでしょうけど、ちゃんとは使えない、そういう感じでしょうね。

上の記事で、高橋さんは

「正直ここ数十年しか、人間は文字読んでないと思います」

と言い切ってます。まあ、そうでしょうねえ。

 

どうでしょう?

ご理解いただけましたでしょうか。。

 

伝わってる自信が、少しばかりないんですが。。

ロールプレイングゲームのように、

と言ったほうが正確なんでしょうか。。

FFとか、そうかもしれないですね。

アップデートもアナログですけど。

 

かくいう私も、この本を長らく本棚に眠らせていたんです。

ある日、エイヤっと開いて読んでみて、

腰抜かしそうになりました。

 

芸術もそうですけど、それらが独立する前には、

いろいろそうせねばならない事情があったわけです。

ミケランジェロ天地創造も、

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絵の具の進歩と、パトロンの潤沢さと、

「一丁派手なんたのむわ!」というバチカンの意向と、

いろいろあったわけです。

なにせ、あれ天井に直で一発描きらしいんです。

 

よくやりますよねえ。。

勉強せな分からんことは、まあ御尤もなわけですね。

 

日々目にする本や、モニターの文章。

それ自体に、悠久と言っていい歴史があるわけです。

 

ときどき、そういうこと考えてみると、

とても優雅で面白いものとして、

鑑賞したり、眺められるかもしれませんね。

 

(もう、いろいろありすぎて分かんないです。でもそれでいいんです!さあ、クリック!)

 

バカにつける薬 (双葉文庫)

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