やがて少年たちも成長し、
少しばかりのお金なら財布にあるようになります。
そうすると、なんというか、
申し訳ない気持ちになってくるんです。
やがて少年達は、正当に食べた分だけの料金を払い始めます。
主は以前と同じように接してくれます。
不思議とその店の中で小競り合いや喧嘩はありませんでした。
皆ニコニコしながら、
馬鹿話をしながら腹を満たしていただけでした。
ある晩、その店に行った時、
私より10歳くらいは年かさの男性がおりました。
主にこう言っておりました。
「まだガキどもにただ飯くわしてやってんのか?」
主はニコニコして、曖昧な表情です。
そして、その男性は、その場にいた私たちに怒鳴るようにいいました。
「よし、今日は店のおごりは期待すんな。
俺がおごってやるから、ちゃんと食った分だけ言え」
なんというか、怒鳴り声のようなのに、
何とも言えない優しい空気がその場に流れていました。
きっと、その男も、
元々は食い逃げをしていた少年であったはずです。
まだその街に活気があった頃の話ですから、
そのおかげかもしれません。
でも、それだけじゃない。
何か奇跡のようなものの、
或る一つの形があの店の中に、
あったんじゃないでしょうか。
ささくれ立った少年たちは、確かにあの店で腹を満たしてもらったのです。
それは空腹を埋めたのではなく、
あの空気が、私たちの心としか呼べないもの、
を埋めてくれていたのだと思います。
そういう大人がいたわけです。
私の世代はそれに甘えさせてもらえました。
私が育った街は、基本的には暴力に支配された街でした。
それは今も昔も、そしてこれからも変わらないでしょう。
そういう街なのですから。
信じる者と書いて「儲ける」。
私の記憶では、
その店はいつも客が入っていました。
今から思うと、本当のタフさというのは、
そういうものかもしれません。
そこで自問するのです、
「お前はあの主のようにタフか?」
そうなれません。
でも、そうありたいといつも思っています。
ご主人、それもあなたのおかげです。
少年を大人にしてくれる、
何かそういうものが深夜の食堂に確かにあった。
そういうお話でございます。
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