一度は立ち入るべき狂気の世界です。
別に、ゴルチエとは限りませんが。
そう、モードの世界と言う奴です。
ゴルチエが、本当にぶっ飛んでいてカッコ良かったのは、
20世紀の終わり頃までじゃないでしょうか。
ブリティッシュトラッドと、パリのモードの融合とでも言うべき、
ぶっ飛ぶカッコ良さを、当時は感じていました。
そのちょっと後、そこそこ仕事も廻るようになり、
ふとしたきっかけでハマってしまったんです。
ゴルチエに。
当時の服は、殆ど残っておらず、後輩にあげたのも多いですね。
シャツが数枚手元にありますが、滅多に着る事はなくなりました。
アバンギャルドなデザインで有名ですが、縫製が素晴らしいのも特徴です。
ボタンとか、凝りに凝っているわけです。
よく言われる事ですが、神は細部に宿る、ってやつです。
ゴルチエにはまった証拠をご覧にいれましょう。
それがこちら。
普通の折りたたみ傘ですね。
今も使っています。15年くらいでしょうか。
開くとこんな感じ。
シマシマ柄が、ちょっと派手ですが、だからなんだというのでしょう?
ちゃんと入ってますね、ゴルチエのネームが。
だから何?と思うでしょ?
これはある時期のノベルティーで、ポイントで貰えたもので、
多分非売品だと思います。
そして、そのポイントは、短期間に30万円分使わないといけなかったのです。
この傘を持っていると言う事は、まさにカモだった証です。
いやあ、狂ってますね。
人間が着飾る、もしくは、人間が自分のイメージを創るってのは、
すごくコストがかかるものだと思います。
お金だけではありませんよ、コストってのは。
時間も手間も含みます。
人からどう見られたいか、ということは、
自分がどうありたいか、を模索するということなのです。
他者の意見を気にするのではなく、
他者との関係にどうある自分でいたいのか。
そのためには、何度か狂気の世界に足を踏み入れないといけませんね。
そしてそこから、帰ってこないといけません。
こう言う話しは、小銭を持っていたからできると思うのは間違いです。
あろうとなかろうと、無関心でいることを正当化はできません。
人間は社会的な生き物です。
そこで、自分は自分だとか、
私らしくだとか、
甘ったれた事を言ってはいけないのです。
社会の中で、どう存在するか。
そのひとつが、どういう服を着るかということです。
今はもうゴルチエには興味はなくなりましたね。
散財と徒労と我慢を必須条件とする、「モード」の中で立ち続けることは、
私のなかでは、終わった事なのだと思います。
もちろん、「生涯戦い続ける紋次郎さん」のような人もいます。
それはそれで、尊敬に値いします。
痛みを知っているからこそ、尊敬もできると言うものです。
戦っている人に、敬意をもつこと。
それはゴルチエから教えてもらった気がします。
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