●アンチな訳でも、炎上狙いでもないけれど、噴き出して笑いました。
有名なブロガーのヨスさんのブログ、ヨッセンス (Here!) さんで、こういう記事を見かけました。
これを見て、まあいろいろ思うところあったわけです。
なに、この古すぎるのかどうかも分からない世界。
私は個人的には、同姓か別姓かは、どちらでもいいように思います。
ここ、大前提に覚えていてくださいね。
ただ、どちらにしても、みなさん非常に熱い。
悪く言えば、感情的なのです。
日本の結婚は、ちょっと特殊だと言う事を以前書かせていただきました。
今回のお話に出てくる女性の言い分を、素直に拝読したわけです。
その感想を、率直に述べると
社会は、個人の欲求を達成する権利を保証するべきだが、
社会が個人の欲求をかなえる義務はない。
これですね。
あっ、ハイエクは読むと面白いですよ。
再編集版で復刊してますし。
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今回、ヨスさんのブログに登場した、「ユリさん」の主張はこうです。
① 婚前の姓に愛着があるのが、娘ばかりだったので消えそうなのがいや。
② 自分の子どもに、婚前の姓を名乗らせたい。
③ 婿養子として夫を自分の姓を名乗らせるのは無理
④ よって、夫婦別姓したい
簡略化し過ぎな気もしますが、大筋はこうです。
私は「新しいな」と思いました。
ヨスさんもそう思われたようです。
ここで問題は、
① 「家」の断絶が、いつからそんな大事になったのか?
② 現状ではユリさんの欲求はみたされない。
③ 戸籍制度そのものは、暗黙に支持
ちなみに、戸籍制度があるのは、私が知る限り日本だけです。韓国や中国にもにたような制度はありますが、あちらは基本的に、子どもは男系で名乗る事になっています。ですので、かなり異なる制度ですね。
諸外国でもそうです。戸籍制度なんかなくたって、国家は維持されています。
特にアメリカ人が、日本人と結婚する際に、概念として理解できないのが「戸籍」そのものなわけです。
イメージさえできない。
公的に、戸籍の「家」を維持することは、
国家が行政を行う制度としての、日本独特の「戸籍制度」に従う事になります。
となれば、ユリさんの問題は、戸籍制度そのものへの挑戦となる必要があるわけです。
これはかなり壮大な話しです。
しかし、どうもヨスさんのブログでは、
その雰囲気はありません。
人間は、考えの似通った人同士がコミュニティーを形成する傾向があります。
これは悪い事ではないでしょう。
ただ、そうした時に、思考が停止してしまうのも事実です。
私には、ユリさんの主張は、
「私がこう求めるのだから、それを認める社会であってほしい」
と取れるのです。
再度宣言しますが、私は夫婦別姓でも同姓でも、どっちでもいいんじゃないかという考えです。
ただ、個人の主張が社会に対してなされる場合、そこには闘争しかないように思いますけれども。
もしくは、社会の承認なんて関係ない、私はそれでやってゆく!と言い切るか。
どちらも大変ですが、どちらしかないように思えるのです。
お上が決めた制度は、下々の都合を考慮はしてくれません。
ならば、戦うか、孤高に行くか。
それしかないように思うのですけれどね。
「なんで、分かってくれないの?」
と言う場合、大抵無茶な事を言ってるのです。
無茶な事は、どんどんやればよろしい。
遠慮は要りません。
そうやって、社会は進歩してきたわけですし。
ただし、それは社会を敵に回す覚悟がいる、ということです。
お上に慈悲はありません。
あるのは、慈悲を示した方が、「公共の利益」になる場合のみです。
ユリさんには、頑張ってもらいたいと思います。
でも、正直、甘えてるような気がするのも事実でしょうか。
この、「甘え」も、かなり日本独特の感覚ですね。
これについては、やはり
この土井健郎の著書が、古典ですが必読だと思います。
何十年も前の古典ですが、いまだに世界中で売れ続けていますしね。
みなさんは、どう思われますか?
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